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近未来バイオSF:「雪の記憶」
番外編『ロマンチスト』
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番外編 『ロマンチスト』

 ここで「世界」という概念の最初の一点から開始されたビッグバンが、そもそも「世界」そのものの全てであったと仮定しよう。
 ビッグバンによって「在」となった全存在は、急速に拡大しつつ希薄なガスの融合体である「個」となった。それは言い換えれば私たちの誕生であった。つまり、私と貴方は同じものだったのであり、そういう意味で、私が貴方を恋うるということは、同一であったものが引き合う「引力」に似た力であると考えることができる。私のこの感情は、発生当初から既に必然だったのだ。
 必然から産まれた私たちはしだいに拡大していく。限りなく拡大していく中で、私たちは膨張し、さらに希薄になり、体積が距離の境界を越えたとき私たちは再び融合し、全ては巨大な一塊となる。その世界のなりたちを三次元変換したものを「uev-oli」――ウェヴォリ曲線というのだ――。


 めぐみは、手の中にあるカードの上の曲線を――不可思議な花の模様のようにも見える曲線を眺め、首をかしげた。最近流行のスタックカードに描かれた動画は、キラキラと小さな光を輝かせて、バラの花にも似た曲線の上をくるくると動き回っている。メッセージを繰り返し表示し、光の軌跡が過ぎるとほんの少し赤みがかる紺色のカードには、差出人の名前がない。
 めぐみはカードを裏返し、そこになんの広告も入っていないのを見て、この意味不明な図形と言葉が描かれたカードが市販のものではないことを確認した。
 スタックカードは、言ってみればグリーティングカードのようなものだが、片面全てがクォーツ振動体で作られていて動画を表示でき、さらに端末に接続することで、あらかじめ差出人が登録しておいた大量のメッセージや動画、既に配送予約されているプレゼントについてなどの情報を引き出すことができる。セキュリティレベルを上げておけば、送金もできるので、お祝い事の時などには重宝するカードでもある。めぐみの所にも月に二通くらいは送られてくるが、それは子供が生まれた友人からの報告の――ほとんどが生まれたばかりの猿のような赤ん坊の顔ばかりが写される動画が詰まったカードだったり、新婚旅行から帰ってきた友人のお惚気カードだったりする。
 ――こんな日に、カードなんて……。
 今日は静かに過ごしたかった。めぐみが大切に思っていた友人の――笑顔のまま死んでしまった友人の――今日は大切な記念日なのだ。
 めぐみは、もう一度その不思議なカードを裏返して、くるくると回り続けている光の軌跡を追った。
 光の軌跡に促されるように一行ずつ現れるメッセージは、やはりどう考えても意味不明のままで、めぐみは大きくため息をついて、端末のスイッチを入れた。
 ――ウェヴォリ曲線なんて、聞いたことのない単語だわ。そもそも、何故ビッグバンが人の感情云々に飛躍するのかが分からないわ。
 必死で数学の公式を思い出している自分に気が付いて、めぐみは肩をすくめた。「三次元変換」や「曲線」という単語から反射的に数学を思い出しただけで、この意味不明なメッセージはどちらかというと出来損ないの哲学のように思える。
 ――哲学だと、何かしら。数理的世界解釈? それとも、哲学的数学理論? どちらにしても100%形而上的推論の上に成立しているとしか思えないわ。
 そう考えた後、ふと、「形而上的」の用法を間違えているような気がして、めぐみは再び首をかしげた。真面目に人文系を学ばなかった学生時代のツケがこんな場面で返ってくるとは思わなかった。

 ウィンと小さな音を立てて起動された端末にスタックカードを差し込むと、カードに記憶された項目の一覧が並び、画面にホログラムを実行するかどうかを確認するメッセージが出た。
 薔薇の花束、欲しいと思っていた分厚い遺伝子の電子辞書、最近話題になっているカフェの予約日時、高くて手が出なかったプラチナの指輪、そしてホログラム。薔薇の花束の配達確認記録がカード実行日の日付だ――ということは、カードが読み取られたことを知らされた花屋が、もうじきやってくるだろう。
 贈り物の一覧を見て、なんとなく差出人の予想はついてくる。遺伝子辞書が欲しいことを知っているのは、ごく親しい研究仲間だけと言っていいし、その研究仲間の中で、めぐみに薔薇の花や指輪を贈るような人物は一人しか居ない。
 こんな回りくどい事をしないでも、両手にプレゼントを下げてやってくればいいのに――そう思った次の瞬間、めぐみは彼が顔に似合わずロマンチストだったことを思い出した。
 十近くも年の離れた「ロマンチスト」な顔を思い出しながら、めぐみは小さく笑い、ホログラムの実行ボタンを押した。

 ポツンと中空に光が点る。ゆっくりとそれは回りだし、スタックカードに描かれた花のような曲線を作る。キラキラと光は増して、花束のように煌いた次の瞬間、一気に砕け散るように光は融解し、雪の結晶のように宙を舞った。
 雪だ――そう思ったとたんに、めぐみの中に熱いものが込み上げた。
 彼と一緒に見た、雪。微笑んだままのように思える美しい友人を、二人でその雪の中に埋めたのだ。キラキラと太陽を反射する、一点の穢れもない雪の中に。
 カチャリと音がして、ホログラムの中に文字が浮かび上がった。
 『生まれてきた、全ての君のために 生きていく、君という存在のために』
 めぐみの中で、彼との思い出と、友人の微笑が甦った。最後に友人はめぐみにこう言ったのだ。
 ――僕は君に会えて本当に嬉しかった。ずっと、自分が生まれてきた意味を考えていたけれど、今は、たぶん君に会うために生まれてきたんじゃないかと思えるんだ。この僕の決断を、もしかしたら、君は怒るかもしれないけれど、それでも、君が生きるためなら僕は何でもできるし、何にでもなれるんだよ。
 病室のガラス越しに見た友人は、微笑んでいるようにも見えた。めぐみよりもずっと幼かったくせに、何倍も大人びていた友人……。
 ――君が僕に教えてくれた。インプットとアウトプットを繰り返すだけではない、本当に「生きる」ということ、笑うということ、信じるということ――愛するということ。だから、僕はもう、満足なんだ。

 思い出の淵を彷徨っていためぐみは、遠慮がちにならされたチャイムに初めて気がつくと、知らず頬を伝っていた涙を手の甲で拭き、急いで玄関に向かった。ドアホンを取る前に鏡を覗き込み、泣いていた痕跡を隠すと、小さく咳払いをしてドアホンに向かう。
「はい」
 小さなテレビモニタに、気の良さそうな青年が薔薇の花束を抱えて立っていた。
(スタックカードからご注文の、花のお届けものです)
「ありがとう」
 めぐみはドアロックをはずすと、花束を受け取って、店員が差し出したサインボードに小指の腹を乗せた。ブレスレットに組み込まれたICチップから、受け取りに必要な情報が自動的に流れて、サインボードの上にグリーンランプが灯った。
「ありがとうございました。これは当店からのサービスで、花の活力剤です。花瓶に移される際にご利用ください」
 鼻腔を満たす薔薇の香りに、めぐみは目を閉じた。どれだけ精巧なホログラムの花が作られても、香りまでをも再現する動画が開発されても、目の前にある、本物の花にはかなわない。目で楽しんで、指で触れて、香りを嗅ぐ。それが最後には萎れて枯れてしまうことが分かっていても、いや、萎れて枯れてしまうからこそ、「生きて」いる花は美しくて、そして――悲しい。
 めぐみは花束に刺さっていた透明なカードを手に取った。
『u evol i』
 ――ウェヴォリ……。やだ、まだ、なぞなぞの続きなの?
 めぐみは首をかしげてカードを見つめた。透明なカードを日に透かしてみて、なんとなく裏返してみる。
 ――i lov……。
 途端に謎が解けて、めぐみは一瞬、唖然とし、その後、堪えきれないように噴き出した。ストレートな言葉をへたくそな哲学で包んだ十近く違う彼は、ロマンチストには程遠い顔をして、きっと研究室の片隅でくしゃみをしているに違いなかった。

 
2002.02.11.