第一章『k-2011』 [ 4 ]
勧められた椅子に体を預けながら、めぐみは混乱していた。
目の前にあるのはめぐみより幼いが、どう考えてもめぐみそのものだとしか言えないほどめぐみに似ている。鏡を見ているような気さえする。
「お前は……」
呻くような野島の声は掠れていた。
「お前は、『何』だ?」
彼は微笑みながら答えた。AOMC-DNAtype-M project-ID2048-2。それが名前だと。
「Artificial Organic Matter Computer? 人工有機電算機だと? お前がか……!?」
21世紀に入ってまもなく概念が完成したDNAコンピューターは、それまで0と1の信号で処理されていたものを塩基配列に置き換えることによって優れた電算処理のスピードを獲得した。塩基配列を保持するための電解質の維持が一番の問題点であったが、単細胞生物の増殖体に組み込むことによって快適な安定性が得られるようになるのにさほど時間はかからず、それ以来、爆発的に進化を遂げた。
しかし、多細胞生物に組み込んだ際に生じたいくつかの犯罪がきっかけとなり、現在その製造に関しては厳しい制約が設けられている。少なくとも、彼のように明確な形を持ったものは製造されていないはずなのだ。
「嘘だろう? AOMCが人型をしているはずが……」
自らをAOMCだと名乗った彼は笑った。
「僕が誕生したのは2048年。その3年前、2045年と聞いて、何か思い出しませんか?」
2045年という年は科学にとって重要な年だ。
酸素生成プラントが全機稼動をはじめ、そのプラントのために各国が友好条約の提携を推し進めた。その調印の模様は全世界にリアルタイムで放映され、劇的なその瞬間は未だにメディアで繰り返される。そして、それと時期を同じくしたクローニング法案の改正――。
各臓器単位であるならばクローニングが一般的に許可されたばかりでなく、受精卵に対する遺伝子治療にもクローン技術が応用されるようになった。
「まさか……」
もしも、彼の言わんとしているものがクローン技術のことであるとしたならば、その時期に裏で流れていたクローン臓器を利用した背徳的とも言えるAOMC製造の噂は真実だったということなのか。
「そう。僕の体は一つ一つのパーツごとにクローニングされ、脳の代わりにAOMCが埋め込まれているのです」
俄かには信じられない話だった。だが、そんなことよりもずっと気になる疑問が、めぐみの中にはあった。
「クローニングに使われた細胞は……私……?」
めぐみは語尾が震えるのを隠せなかった。答えは既に分かっていた。お互いの顔がそれを証明している。だが、聞かずにはいられなかったのだ。
彼は頷いた。目の前が一瞬、闇に閉ざされたような気がして、めぐみは目を閉じた。
「僕は僕に関する公式資料しか所有していないので、正確にあなたの細胞が使用されたと断言することは出来ませんが、外見の相似はおそらくその事実を裏付けるものでしょう。少なくとも、あなたの所有しているDNAと僕が所有しているDNAがかなりのパーセンテージで同一ものであるだろうと推測することが出来ます」
彼はそう前置きをすると、ゆっくりと話し始めた。
2035年。AOMCを多細胞生物に組み込んだ最初の実験体は、擬似愛玩物として開発された。
巨大な塩基配列による飛躍的な電算処理のスピードの向上によって、非常にこまやかな感情プログラムをストレスなく走らせることが可能となり、緻密に計算された感情の動きは実際の愛玩動物以上に魅力的であった。まして、本来『擬似生物機械』である彼らは、不必要な場合にはその機能を停止させることができる。そして自分の好きなときに、電解質維持のためのプログラムを生物タイプに切り替えることによって、実際の動物のように餌や睡眠を必要とする可愛い姿を眺めることができるのだ。彼らは非常に手軽なペットとして、その世話のしやすさからすぐに多くの分野で注目を集めた。
もちろん、市場に公開されるに当たって、犯罪等の有害プログラムの実行を阻止するプロテクターも開発されてはいた。しかし、すぐにプロテクター破壊プログラムは闇で開発され、現在も開発と摘発のいたちゴッコが続いている。
いくつかの多細胞生物AOMCを使った事件がきっかけとなり、2044年には多細胞生物に対するAOMCの埋め込みは全面禁止された。
そのとき行われたAOMCの廃棄運動は凄惨極まりないものだ。現在でも、時々思い出したように当時の映像がTVで流れることがある。『生物機械』という区分に入ってしまうとはいえ、多くのAOMCは明らかに猫や犬などの愛玩動物の形態をしている。それを、ただの機械として、まるでゴミのように捨てたのだ。大量のAOMCが集められた場所に、重い重機が入り込み、火がつけられ、その行為に反対する人々の叫びがこだまし、重苦しい顔の政府関係者と科学者の顔が交互に映し出されて……。
専門分野の研究者たちの心情は推し量れなかったが、そのあまりにもインパクトのある廃棄運動の為に、大衆のAOMCに対する考え方は大きく変化した。――タブー視されたのだ。
翌年、2045年のクローニング法の改正。これには国際政府と科学者たちとの間で、AOMCの制約を認める代わりにクローニング法案の改正を行うという闇取引がされたのだという黒い噂も流れていた。
そして、2046年から、クローニング法を逆手に取ったように新たなAOMC projectが推し進められたという。
各臓器をクローニングし、特殊な神経増殖因子を培養中に投与することによって、科学者たちはAOMCと生体との間に化学物質による信号伝達を可能にした。
入れ物をクローニングで作成し、それを単細胞生物AOMCが支配する、新たな『生物機械』を誕生させたのだ。
「プロジェクトは3種類ありました。それぞれDNAtypeが異なっていて、type-Aは男性体、type-Xは完全人工DNA、そして、僕が作られたプロジェクトはtype-M、女性体……」
科学を選んだものの性だろうか、話が科学的になるにつれ、それが自分の関係する場所で起こっていることだとは感じなくなっていく。その計画の恐ろしさや非道徳性よりも、科学技術の内容やその理解の方に神経が集中してしまっていた。
だが、彼の口から『DNAtype-M』という単語が出来てた途端にめぐみは夢から覚めたような気持ちがした。
「女性体……。それはDNAのタイプが女性体だったということか?」
かすれた声で野島が口をはさんだ。衝撃を隠し切れない様子で、野島は幾度も唇を舐めた。
「そうです。男性体は性染色体を使用しました。完全人工DNAは独自でDNA配列を精製したものです。ですが、そのどちらも実験は成功しませんでした。結局、作られたのは僕だけ。しかも、翌年2049年にはプロジェクトそのものが崩壊しています」
彼は表情を変えずに言った。めぐみにはそれが冷酷に思えた。人間が積み重ねる記憶と彼が蓄積していくデータは性質が違うものなのだろうか。それとも、それに付随する感情の波そのものが、違う経路で発せられるのだろうか。
めぐみには目の前の自分に酷似した顔がまったく違うものに思えた。――そう、思いたかった。
「表向きは僕は消去されたことになっています。プロジェクトの崩壊直前、僕はあるデータを渡されて逃がされました。そのデータとは僕に与えられたDNAの持ち主が現在も生存している少女のものであるという事実でした」
彼はまっすぐにめぐみを見た。その視線の中になにか神聖なものを感じて、めぐみに不意に奇妙な疑問が浮かんだ。
幼く見えるとはいえ、彼は少なくとも12歳以上には見える。身長もさほど変わらないし、体つきも細いとはいえ、それは少年のものだ。彼が生まれたのが本当に2048年ならば、現在まだ5つかそこらの子供のはずだ。しかも、女性体から作られた彼が、なぜ、女性体ではないのか。
めぐみは素直に質問を口に出した。隣でギョッとしたように野島がめぐみを見つめた。
「まず、2番目の質問から答えましょうか。僕はあくまでAOMCとして開発されました。生殖能力は不要です。ですから、全ての器官の中で、卵巣と子宮はクローニングされませんでした。もちろんプロジェクトが続いていたならば、最終的に性ホルモンの投与なども考えられたでしょうが、崩壊したのは僕が体年齢5歳のときですから……」
小さく彼は肩をすくめて見せた。
「そして、最初の質問に対する答えです。AOMCとこの体を繋いでいるのは特殊な神経伝達物質です。それを体内で作り出すために投与された神経増殖因子は神経細胞だけでなく、体内の全細胞に影響を及ぼしました。その結果、僕の細胞は通常より老化が早いのです。僕は一年で3つ年をとります。今、僕の体年齢は14歳なのであなたよりも幼いですが、一年もすればもう、あなたを追い越していくのです……」
悲しそうに見えた。
一瞬だが、光に照らされた彼の青白い顔が、とても悲しげに見えた。
めぐみは声を失った。体の中をせりあがってくる巨大な感情の波に、悲しみや苦しみといった特別な名前をつけることは出来なかった。だた、制御できない激しい興奮がめぐみを支配していた。
「――泣かないでください。どうか……」
震えるように彼が言った。めぐみは頭を振った。不意に零れ落ちた涙の理由は分からなかった。
「――泣かないで……」
ゆっくりと、彼の頬に涙が伝ったのが見えた。ゆっくりと彼は近づいて、めぐみの手を握った。
冷たい手……。だが、柔らかく優しい。
双子は感応能力を持つ場合があるという。では、同じDNAで作られた彼とめぐみの間にもその力はあるのだろうか。けして人ではない彼と人間であるめぐみの間にも、感情のつながりがあるのだろうか。
彼は泣いていた。まるで、めぐみの感情が彼にまで影響を及ぼしているかのように。
「あなたに、会いたかった。ただ、僕はあなたに一度でいいから会いたかったのです……」
薄いガラスに触れるように微かに彼の指がめぐみに触れた。弱い、悲しげな微笑が母に似ていた。
めぐみは確信していた。経緯がどうであれ、自分と彼とは確実に同じDNAから生まれたのだ。彼の体には自分と同じ血が流れ、彼の細胞は自分と同じ形をしているのだ。
めぐみはそっと、彼に体に触れた。びくりと、彼が震えたのが分かった。
「――泣かないで……」
呪文のように彼は繰り返した。
野島はそんな二人の様子を、ただじっと見つめていた。
ようやく涙が乾く頃になると、不意にめぐみの全身に疲れが襲ってきた。思考は分断され、満足にものを考えることが出来ない。
彼は無口になっためぐみを尋ねるように見つめ、食事を摂るように勧めた。
「保存用のパック食料になってしまいますが、食べないよりはずっといいと思います。食べますか? それとも、少し横になりますか?」
めぐみは弱々しく首を振ってみせた。食事も睡眠もとれそうになかった。ただ、麻痺したような感覚が全身を支配している。
「横になれ。目をつぶっていればいつかは眠る」
野島はソファから立ち上がると無理やりめぐみを横にならせた。そしてポケットから小さな小瓶を出して中の液体を口に含ませる。
微かに苦味のある液体は、喉を焼きながら胃へと降りていった。
「未成年だから本当は飲ませたくないんだが、安定剤なんか持ち歩いてはいないし、こういう状況だとしょうがないからな……」
気遣わしげに顔を覗き込みながら囁く野島を見て、ようやくめぐみは喉を伝っていったものが酒だったことに気が付いた。
めぐみは小さく笑った。だが、きちんと笑えていたか、自信はなかった。
「寝ろ……。もう、眠れるから」
大きな掌がゆっくりと頭を撫でた。
また、涙がこぼれそうで、めぐみは慌てて目をつぶった。
かあさん……。
めぐみは心の中で呟いていた。
優しい微笑ばかりが記憶の中から再生された。
かあさん、私、どうすればいいだろう……。
答えはなかった。瞼の奥からゆっくりと闇が訪れ、やがて、痺れた感覚全てを包んでいった。
雪が降っていた。
音もなく、ただ、灰色の壁を背景に、雪は降っていた。
めぐみはそっと掌を差し出した。一片が掌の上に落ち、音もなく溶けた。
一瞬遅れて、冷たいと感じた。
めぐみは空を見上げた。
灰色の空には太陽は見えなかった。
(おい、まだか)
(ええ)
(遅いな)
(来るでしょう、絶対に。目の中に入れても痛くないほど可愛がっている娘です)
(そうだな)
めぐみは落ちてくる雪を夢中で見つめた。
足元に落ちた雪を手で掬うと、冷たい床に指が当たった。
床は固かった。
(来ました)
(来たか)
(つれて来い)
めぐみは声の方を見た。
黒い服が私を見つめていた。
めぐみは恐ろしかった。
(娘は……)
(無事だ。もちろん)
(何故?)
(あなたには働いてもらわなければならない)
パパ
めぐみは叫んだ。
(娘を返せ、返してくれ……)
(もちろん、この契約書にサインを)
雪が降っていた。
床は冷たかった。
金属の匂いがした。
パパ
めぐみは叫んだ。
(――『ユキ』って言うんだよ)
優しい声だった。
父の声だった。
父に抱き上げられた。
剃り残したひげが痛かった。
(めぐみ、これが『ユキ』っていうものなんだよ)
(よし、契約は完了した)
(丁重に送って差し上げろ)
父は泣いていた。
雪が降っていた。
(もう、これ以上娘に手を出さないでくれ)
(もちろんだ。契約は完了した)
(出発は一週間後だ。着の身着のままでいい)
(準備はみな、こちらで)
めぐみは空を見上げた。
暗い空は金属の匂いがした。
母がアルバムをめくっていた。
めぐみは膝の上で母の横顔を見上げた。
母は若かった。
ママ、パパはどうしたの?
(パパはお仕事で遠くに行ったの)
母が微笑んでいた。
悲しげだった。
母はゆっくりと私の髪を撫でた。
クリスマスには帰ってくる?
(そうね、お仕事が終わったらね)
母は悲しそうな顔をしたままめぐみを抱きしめた。
(お仕事が終わったら帰ってくるわ、きっと)
めぐみは悲しかった。
自分の一言が母を悲しませたのだと悟った。
めぐみは笑った。
笑って見せた。
パパが帰ってくるまでに、めぐみ、クッキーを焼けるようになるわ
母は微笑んだ。
弱々しい微笑を浮かべたまま、母は小さく頷いた。
めぐみはそっとアルバムに手を乗せた。
アルバムの中で父は笑っていた。
父は帰ってこなかった。
次のクリスマスも、その次も。
めぐみは次第に父の話をしなくなった。
母も、父の話をしなくなった。
そして――
――多分、独りになったのだ。
めぐみはゆっくりと目を開けた。
無機質な天井が目に入り、小さく揺れる光に気が付いた。体には毛布がかけられていて、揺れる光は隣の部屋から漏れてきてるようだった。
小さな話し声がした。めぐみは足音を忍ばせて扉に向かった。
「俺は明日にでもあいつの家を見て来ようと思う。おふくろさんが心配だし」
扉の隙間から野島の広い背中が見えた。
「まだ、危険だと思います。もしも、あなた方を襲ったのが、あなたの予想通り連合の手のものだとしたら、たぶん、あの場所にそのまま置いておくことはしないでしょう」
彼は小さく首をかしげると、髪をかきあげた。
「とりあえず、めぐみさんの精神状態の安静をはかって、あとはデータです」
彼は腕を組み、野島の顔を覗き込んだ。
めぐみは足音を忍ばせてそっとソファに戻った。
冷静に話す二人の会話をそのまま聞いていることが出来なかった。
毛布に潜り込むと、不意に母の顔が浮かんだ。そして、さっき見た夢を思い出した。
(もう、これ以上娘に手を出さないでくれ)
父の声だった。
あれは夢だったのだろうか。それとも、不意に再生された記憶だったのだろうか。
灰色の壁。無機質な金属の匂い。冷たい床。黒い服の男。白い雪。曖昧な視界。――そして、声。
――『ユキ』って言うんだよ。
だが、めぐみは確信した。
――私は雪を見た。私を救うために父は家を去った。
――私は雪を見た。私を守るために母は男達に立ち向かった。
私のせいだ……!
めぐみは小さく体を丸めた。世界からこの体を消してしまいたかった。