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オリジナル異世界ファンタジー:「月蝕―Eclipse―11番目の神」
番外編 『太陽の軌跡』
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番外編 『太陽の軌跡』

 甲板の板は、長年の波しぶきによる塩で擦り磨かれて、鏡のように太陽を反射している。鈍い光のくせに直視すると瞼の奥を焼くほどに感じるのは、夏季が近くなってきたせいというよりは、西にとった航路の終わりが近付いているせいだろう。故郷ハランの四季に富んだ柔らかな太陽と違い、帝国領の太陽は、カンカンと頭上を照らしている。
 ――エクリアじゃぁ、男の神様のなかで力が一番強いのは太陽神ハロだって話だけど、なんか、そう言われる理由が分かるよなぁ。
 手を額にかざして痛む目を庇いながら、タオはまだ何も見えては来ない水平線の先にある、遠い異国を思った。
「おい、甲板の掃除は終わったのか」
 船の木戸を開けて、上官の顔が覗く。
「終わりました」
 タオは気をつけの姿勢もとらずに言葉を返した。上官と言ってもたかだか2つ違いの商兵だ、言葉だけは丁寧だが、タオの態度は砕けている。
「じゃぁメシまで休息だ。お前は今夜が帆番だから今のうちに休んでおけよ。朝にはエクリアが見えてくるからな」
 返事も待たずに上官の姿は再び木戸の中に消えた。目的地が近くなってきたために、船の中の消耗品の計算に忙しいのだ。帰りの航路で足りなくなる可能性があるものはエクリアで仕入れて帰らなくてはならない。
 商兵の仕事は、兵士や船乗りというよりも商人に近い。――もちろん、兵というからには多少は剣の訓練もするが、中央の守りの要の僧兵や、都市ごとに編成されている州兵と違い、戦いそのものを生業にするわけではない。だからこうして商兵の下では、タオのような州兵志願の少年兵が訓練と称して船の警護にあたるのだ。船には商兵見習いの少年兵も乗り込んでいるが、彼らは甲板の掃除などしない。彼らがやるのは商兵の計算の手伝いや、船の中での仕事が主だ。
「休憩――とね」
 タオは大きく伸びをした。緩やかな波が太陽を反射してキラキラと瞼を焼く。まだ水平線の先は見えない。
 甲板の手すりから身を乗り出すようにして波間を眺めると、走る船の起こす白い航跡の影に無数の魚の影が見えた。
「美味そう……」
 船の食事はたいてい魚料理だ。船の一番後ろには漁のための網があって、たまに船の速度を緩めては漁をする。この船に乗っている商兵見習いの中にひとりだけ料理上手が居て、たまに滅法美味い料理が出てくるのだ。それがタオの一番の楽しみでもある。
「ヒメコアジの群れだね。一昨日の漁でたくさん獲れたので、今日当たりの料理に出てくるんじゃないかな?」
「あ?」
 いつの間にか、商兵見習いらしい少年が、タオと並ぶようにして甲板から身を乗り出して波間を眺めていた。
「あれ、ヒメコアジっていうのか?」
「そう、ヒメコアジ。ちょっと浅めの海に群れて居る魚で、から揚げにすると美味しいよ」
 尋ねたタオを振り向いて、少年は笑った。髪の色はタオより薄い。目の色はかすかに曇った蒼色で、きちんと折り目の付いた襟の白さが、育ちの良さを感じさせる。
「美味そう……」
 頭の中で食事を想像して呟いたタオを見て、少年がさらに笑みを深める。
「から揚げにしてキタの実のすっぱい汁と香草につけて、チャパで巻いたりすると、本当に美味しいよ」
 ようやく波間を眺めるのを止めて体を起こしたタオを真似て、少年も体を起こす。少年兵として乗り込んでいるのだから年の頃はタオとかわらないはずなのだが、体を起こした少年は小柄で、背の丈はタオの肩あたりまでしかない。
「お前、商兵見習いか?」
「いいえ」
 少年は小さく笑った。
「僕は調理担当。商兵見習いの料理ばかりじゃ長い航海を乗り切れないから、船にはたいてい調理担当がひとり入ることになっているんだ。僕の家は街で店を営んでいるから、商兵見習いとして1年航海をして、そのまま船でしばらく調理担当として修行をしたら自分の家に帰って店で働くんだよ」
「え、じゃぁ、おいらより年上?」
 ハランでは街を出て働く年齢は決まっている。既に商兵見習いを終えているとしたら、タオより年上に違いない。
「そうなる、かな。――ひとつだけだけど」
「わりぃ」
 タオが頭を掻くと、少年は屈託のないその様子に苦笑しながら小さく伸びをした。
「もうエクリアがすぐそこだね。太陽の暑さが違うや」
 つられたように、タオも太陽を仰ぎ見た。雲のない空は抜けるように青く、陸が近いことを示すように白い鳥がくるくると旋回している。
「おいら、タオってんだ」
「僕はリレイ」
 ようやくお互いに名乗りあって、そのまま甲板に座り込んだ。
「そうか、リレイは店屋の主人になるのか」
 ざらついた甲板を指先で撫でながら感慨深げにタオが言うと、リレイは首を傾げた。
「タオは、兵になるの?」
「分かんね」
 小さな頃から腕白で喧嘩だけは強かったから、街をでて見習いになる時に迷わず少年兵になることを選んだ。学問ができる少年は、中央にある学問所に行き学僧への道や政僧への道を選ぶ。リレイのように親が店を営んでいる少年は、やはりその道を学ぶ修行をするのが普通だし、権力者の子弟は特別な学問所がある。タオは選べる選択肢が少年兵くらいのものだったから、いま、こうして船に乗っているに過ぎない。
「ガキの歳じゃなくなったから道を選べって言われたってさぁ、そんな直ぐに決められねーと思わねぇ?」
 拗ねたように唇を尖らせたタオを見て、リレイは笑った。
「そうだなぁ。僕は小さいときから店を継ぐんだと言われて育ったから、あまり迷ったりしなかったけど。それに、料理を作るのも好きだし、他にやりたいこともなかったからね」
 微笑むリレイを見て、タオはさらに唇を尖らせた。
「いいよなぁ」
「タオはやりたいことがあるの?」
 リレイの言葉にタオはごくりと唾を飲み込むと、慌てたように周囲を見回して声を潜めた。
「ある――誰にも言っちゃダメだぞ?」
 声を潜めて、鼻同士がぶつかるほどに顔を近づけたタオの態度に面食らいながら、それでも大真面目なタオの顔を眺めて、リレイは小さく頷いた。


 ――呆れた。
 リレイはキタの実をぎゅうぎゅうに絞りながら、ため息をついた。微塵に切った香草の上に汁を落とすと、さわやかな香りが辺りに漂う。硬い皮に包まれたキタの実を絞るのは重労働だ。
 ――本気で呆れた。
 絞りきった皮を投げ捨てて、力を入れすぎて痺れた指をぶらぶらと解す。
 ――船を下りてエクリアを探検したい、なんて、ばれたら処罰モノだよ。
 リレイは新しい実を取って二つに割ると、再び汁を絞り始める。硬い皮で守られた果肉は柔らかく、船底の保安庫でしっかりと保管されていたために水気もさほど抜けていない。
 料理をするのは楽しい。たどたどしい商兵見習いの料理を監督するのはなかなか骨が折れる作業だが、それでも航海の中で少しずつ進歩していく彼らの料理の腕を見るのは楽しい。だが、甲板でタオの告白を聞いた今日は、その料理も上の空だ。
 ――冒険をしたいのは分かるさ。知らない世界を知りたいのも分かるさ。でも……。
 初めて船に乗ってエクリアの港に着いたとき、見知らぬ食べ物に出会ってリレイは興奮した。港に船が着いている間、リレイは港の近くにある店を巡っては、初めて見る料理を眺め、果物を眺め、エクリアよりさらに遠い砂漠の民の保存食やヴァイアの食べ物を眺めて驚嘆した。船の出港の時間が近付くのが嫌だった。気の済むまで見たこともない料理を眺めていたかった。
 ――分かるんだけどさ……。
 タオの気持ちが分かるのだ。リレイは初めての航海の時、どうにも名残惜しくて、いっそこのまま船に帰るのを止そうかと思ったのだ。もちろん、遅刻すれすれで帰りの船に乗り込み、上官にこっぴどく叱られたのだが。
 絞りきった皮を投げ捨てて、再びリレイはため息をつく。
 ――タオ、今夜は帆番だって言ってたっけ。
 帆番は、帆柱の途中に作られた足場に座って周囲を監視する役目だ。州兵見習いの大事な仕事の一つで、帆番の間は保存用のチャッカを齧るくらいのことしか出来ない。
 ヒメコアジの調理法をしゃべった時のタオの顔を思い出して、リレイは苦笑した。本気で美味しそうだと思っているに違いないその口調を思い出すと、何故か笑みが浮かぶ。
 ――仕方ないなぁ。
 香草を混ぜながら、リレイは小さく笑った。


「タオ」
 タオは足場の上で体を丸めて星を眺めていた。帆柱を登ってきているらしい軋んだ音は聞こえていたから、そろそろ夕食が届けられる頃だろうとは思っていたのだ。残念なのは、昼間リレイが言っていたヒメコアジが食べられないことだ。
「メシ?」
「そう」
 応えながら足場の上に顔を出した少年の顔を見て、タオは驚いた。
「リレイ? なんでアンタがこんなところに登ってんの?」
 帆番をするのが少年兵の仕事なら、帆番に食事を届けるのも少年兵の仕事なのだ。
「交代してもらった。あぁ、高いなぁやっぱり」
 驚いているタオには頓着せず、リレイは足場の上から遥かに広がる空と海を眺めている。
「登るの初めて?」
「うん。ちょっと怖いね」
 タオが体をずらすと、リレイはその空いた隙間に座った。
「ほら、夕飯」
 紙の包みを開けると、焼きしめた固いチャッカの塊りの横に油紙で包まれた別の包みが転がり出た。そっと包みを開けると、しっとりと汁を吸った小魚がキタの香りに包まれて現れた。
「これって」
「ヒメコアジ」
 リレイは悪戯に笑う。
「美味そう」
「美味いよ」
 尻尾を摘まんでキタの香りを嗅ぐと、タオはそれを口に放り込んだ。
「……んっめぇ」
 続けてチャッカを齧ると、キタの汁を含んで柔らかな甘みが口の中に広がる。
「昼に話を聞いたからさ、食いたかったんだ、これ」
 美味しそうに頬張るタオの顔を眺めて、リレイは笑った。ふた口ほどチャッカを齧ると、タオはそのままチャッカを紙に包みなおした。
「もう食べないの」
「うん」
 居心地の悪そうな返事にリレイが苦笑すると、タオは頭を掻いた。
「行くつもりなんだね」
 日の落ちた遠い空で、暮れの明け星が小さく瞬いている。凪いだように静かな海は潮鳴りの音さえ聞こえない。
「――うん。この日に帆番になるように順番を変えてもらったのも、こいつを貰えるからなんだ」
 タオは齧りかけのチャッカの包みを腰につけた袋に入れて、身動ぎした。
「最初はさ、帆番の度にチャッカを貯めておこうかと思ったんだけど、保存食ったってそこまで日持ちしないって分かったからさ。エクリアに着く直前に帆番になるように、帆番を代わってもらったんだ、おいら」
 タオの目が、遠い空を眺めている。屈託のない横顔が、甲板で声を潜めて話した時と同じ生真面目な色に染まっているのを認めて、リレイはため息をついた。
「決めてたんだ」
「――うん」
「そっか……。でも、金はどうするのさ、初めて乗った船なんだろう? ハランに帰ってからしか、最初の手当は貰えないのに」
 タオはにやりと笑い、ごそごそと懐から骰子さいを取り出すと、手の中で転がして足場の隙間にそのまま手を伏せる。
「当ててみな」
 リレイは首を傾げて伏せられた手を眺めると、自信なさげに呟く。
「2と4?」
「残念、1に1でゾロ」
 伏せた手を除けると、確かに骰子は1と1を出している。
「じゃ、次」
 再びタオは骰子を転がして手を伏せる。
「1と4」
「残念、4と5」
 タオが告げたとおりの目が現れると、リレイは驚いたようにタオを見上げた。
「へへ。得意なんだよ、おいら。こいつがあるから、金はなんとかなるって」
 得意げに鼻の頭を擦ると、タオは再び大事そうに骰子を懐に仕舞い込む。
 呆れたようにその様子を眺めた後、リレイは小さくため息をついて、自分の腰につけている袋から布の 包みを取り出した。そのまま、ぽんとタオの膝にその包みを乗せると、リレイは空を眺めた。
「なに、これ」
「ちょっと小さめのチャッカ。あとは酪固チーズとキタの実。それに、地図と僕の貯金。包んでいる布はターバン」
 タオは穴が開くほどまじまじとリレイの横顔を眺めた。
「最初にエクリアに着いたとき、僕もね、帰りたくないと思ったよ。珍しいものばかりで、知らない食べ物がたくさんあって、このまま船に帰るの止めたいと思った」
 振り向いて、リレイが笑った。
「船が着いたら、その場で路銀を稼いだりせずに別の街に行かなくちゃダメだよ。それに、ターバンで耳を隠さなくちゃダメだ。ハランの民だってばれちゃうからね」
 驚いたまま固まっているタオの耳を摘まむと、タオが首を傾げる。
「船に乗るときに習ったろう? エクリアの民とハランの民の違い」
 そう言われてようやく気がついたようにタオは笑った。
「そうか、エクリアの奴らって耳が丸いんだっけ」
 僅かに尖った耳はハランの民の特徴だ。エクリアの港では見る機会が多いせいかあまり目立ちはしないが、エクリアの内陸部から来た商人などは、珍しげにハランの民を眺める。
「僕、なにかくっ付けてるんじゃないかって、耳を引っ張られたことがあるよ」
「ほんとに?」
 目を丸くしたタオに、笑いながらリレイは大きく頷いた。
「酔っ払ってたみたいだけどね。痛がったら平謝りに謝られたよ。お詫びにエクリアの花の種を貰った」
 花の行商の人だったんだよとリレイが笑うと、タオはつられたように笑って、膝の上の包みを抱きしめた。
「リレイ、ありがと」
 不似合いなほど真面目な顔で呟くタオを見て、リレイは苦笑した。
「お礼なんていいよ。なんだかね、自分でもなんでタオにこんなことしてあげてるのか分かんないし」
「おいらエクリアで美味しい食べ物見つけたら、絶対調理法聞いておくから。そして絶対にリレイの店まで届けに行くから」
 なぜかすがる様に見つめるタオの必死な様子にさらに笑みを深めると、リレイは立ち上がった。
「そろそろ帰らないと怪しまれるから、行くね」
 暗くなった空の奥に、船の残す軌跡を照らして、月が昇り始めていた。
「リレイ」
 思わず呼び止めたタオに、ゆっくりとした動作で梯子を確認しながら帆柱を降り始めていたリレイは顔を上げた。月の光の中で、明るい金の髪がようやく吹き始めてきた夜の風に弄られて、ハランの優しい太陽のようだった。
「元気でね、見送りは無理だけど」
 何かを言おうとしたタオの唇は結局何の言葉も紡ぎ出せないまま、ただ小さく頷いて笑った。
 数歩降りて、リレイは月を見上げた。頭の上で小さく響いたしゃくりあげる声に微笑むと、月に照らされた白い航路を見つめる。

 凪いだ海に残る軌跡の先に、懐かしい家と冒険を夢見た自分が居る。この月がエクリアの大地に落ちて太陽が昇ったとき、タオはきっと後を振り向くこともせずに駆けていくに違いない。
 まっすぐに、進む太陽と競うように駆けていくタオの金の髪の軌跡を思い浮かべて、リレイは微笑んだ。
 輝きを増した暮れの明け星が、西の水平線にゆっくりと落ちていた。

 

番外編 『太陽の軌跡』 了