第二章『星の道標』 [ 6 ]
「あんた達、いったいこの宿に何の用だい」
不意に扉を蹴り開けた男達の前に、アザラは立ちはだかった。まだ食事時ではないこの時間帯には、いつもはたむろしている男達も居ない。ただ一人、アザラは開け放たれた扉の前に立ち、男達を睨みつけた。男は3人。誰もが顔を歪め、そんなアザラの様子をにやりと人の悪い笑みを浮かべて見返している。
「どきな、姐さん。あんたに用はねぇ」
「この宿の主は私だよ。私の許しなくこの宿には入れるもんかね」
にやりと笑って一人の男が、頓着せずに宿の中に足を踏み入れる。
「勝手に入るんじゃないよ。このタロンは宿で成り立つ町、宿への家捜しにはそれなりの理由と許可が必要だ。そうやってこの町は昔も今も栄えているんだ。あんた達の雇い主だって、それくらいのことは知っているんだろう?」
「固いこと言うなよ、姐さん」
傍らの男がにやつきながら床に何かを投げた。小クリアス金貨だ。
「そんなものでこの私が動くと思うか。ここはカナリの家。このアザラが先代から引き継いだ、タロンの義士の家だよッ。見くびるんじゃないよ」
アザラは一歩も引かない。男はチッと舌打ちすると、忌々しげにアザラを睨みつける。
「義士の家を汚すものは、旅券を割られて焼印をされる――これは昔からの不文律さ。あんたも傭兵の端くれなら、義士の家を汚した奴の末路くらいは知っているだろう。汚した瞬間から、あんたはもうただのゴロツキだ。何処に行ったってまともに相手にしてもらえるもんか」
「兄貴ッ」
背後で連れの男が焦ったような声を上げる。無人だったはずの宿の周囲にいつの間にか町の男達が集まっていたからだ。その中に居る数人は、明らかに体格からして周りの男達とは違う。傭兵上がりの男だ。
タロンのような宿場の町には必ず『義士の家』がある。事あれば町に居る傭兵たちはこの宿に集う。
元は傭兵の妻達が、仕事に向かった夫を待ちながら始めた宿のことだったが、次第に宿を束ねる顔役のような役目も持ちはじめ、今では『義士の家』と言えば宿場の町の自治の要にもなっている。町を災害が襲ったときに、まず傭兵上がりの男達が集まって救援作業の基地になるのも義士の家だったし、宿場の店を束ねる商家の代表との話し合いがもたれるのも義士の家だった。帝国領になった以上、当然、町貴族の支配化にはあるのだが、宿場で生きている人間の心は、金と地位で帝国と繋がる貴族達よりも、毎日の生活の要となる義士の家にあるといっていい。
「さぁ、家捜しをするつもりなら、割り印のついた許可証をお見せよ。このアザラが確認して、家捜しも尤もだと許しの半印を押さない限り、一歩もこの中には入れないよ」
「兄貴ッ」
男達の輪が、僅かに狭まる。一人の男がゆっくりと腰に回した指先に、短いが使い込まれた剣の柄があるのが見え、背後の男は焦って強く己の剣の柄を握り締めた。
「そんなものはねぇ」
頭らしい男が言い放った言葉に、アザラは目を剥いた。怒気がその小柄な体に満ちて、険しく寄せられた細い眉が怒りを孕んで天を向く。
「申し出は受けないよッ。出ておいき!」
「だが、これがある。許可書なんか必要ねぇんだよ」
男は拳を突き出して見せた。無骨な刀傷の見える拳の指先に、鉛で出来た意匠のついた太い指輪が見えた。そこに町貴族の紋章を見つけて、アザラの眉はさらに険しくなる。貴族の紋章の指輪は、その代理人の証となる。つまりは、その申し出は許可書などより絶対だ。
「入らせてもらうぜ」
アザラの小柄な体を突き飛ばすと、男は宿の中に一歩足を踏み入れた。だが、その男の前にふらりと黒い影が立ちはだかった。
「乱暴だなぁ。――家捜しするのは勝手だが、お探しの二人連れはもうここには居ないぜ」
間延びした声でそう告げた男は、海に生きるものらしい焼けた顔に笑みさえ浮かべて、突き飛ばされて床に倒れたアザラの体を抱き起こした。
「さっき、俺の旅券を買ってもらったから、もうとっくに街の外だろうな」
「イオス、あんた、ティオを売るつもりかい?」
アザラはイオスを睨みすえる。イオスはひょいと肩をすくめると、宥めるようにアザラの肩を叩いた。
「分からない人だなぁアンタも。紋章まで出されたら、もう、片意地張ったって無理だろう? 俺は家捜しされて病気の妹に障りがあるのが嫌なんだ。分かってくれよ」
唇を噛み締めたアザラは、助け起こされた腕を振り解くと、イオスの頬を平手で思いきり叩いた。激しい音がして、何事かと動きを止めた男たちの息が一瞬止まる。
「見損なったよ!」
「ってぇなぁ。確かにあの旦那には世話になったさ。でも、俺は妹の方が大事なんだ。宿の家捜しなんかでただでさえ死線を彷徨っている妹の身に何かあってみろ。アンタでもただじゃおかねぇ」
優男に見えたイオスの焼けた顔に怒気が浮かぶ。だが、アザラも怒気を孕ませたままでイオスの目を睨みすえる。
「おいおい、どういうことだよ」
蚊帳の外に置かれた男が、ニヤつきながら二人の間に入った。
「兄さん、詳しく聞かせてくれよ。あんた旅券を売ったって言ったなぁ。相手は頬に傷のある男か?」
「あぁ、そうさ、頬にでっかい傷のある腕っこきの傭兵さんだ。あっちは早急に旅券が必要で、俺は金が必要だった。だから売った。2刻ほど前だったかな」
ニヤリと笑うと、男はイオスの肩を軽く叩いた。
「ありがとよ。ただ、本当かどうか確かめなきゃならねぇ。家捜しにこの宿に入るのは俺だけだし、アンタが傍で立ち会ってくれてもいい。他の手下は宿には入れねぇ。病弱だというアンタの妹に手も触れねぇ。それで手を打ってくれるかい?」
イオスは微かに首を傾げて考える素振りをしてみせ、そのあと小さく頷いた。
「うるさく音を立てたりしないでくれ。妹は寝たきりで意識が戻らないんだ」
「もちろんさ」
男はまだ扉の外で剣の柄を握り締めたままの男に顔を向けると、通りに向かって顎をしゃくって見せた。
「てめぇらは他の奴に連絡して二手に分かれて街を捜しながら門に向かえ。見かけた奴がいたら、その足取りを追うんだ。門まで行っても居なかったら、門番を脅してでも奴らの行き先を吐かせて来い」
そして男はアザラに向き直ると、仰々しく礼をとって見せた。
「姐さん、それじゃ、入らせてもらうぜ」
アザラは忌々しげにそれを睨むと、ぷいと顔を背けた。
マティスと別れたタオは、軽い足取りで大通りを分かれた場所とは正反対の方向に歩いていた。歩きながらマティスが着ていたマントを体にしっかりと巻き、懐から小さな容器を取り出すと、右目だけにポツリと何かを落とし入れる。
「くぅ。沁みるなぁ」
眩しそうにパチパチと目を瞬いて、タオは一瞬だけ足を止めた。そして、ちょうど通りかかった店の軒先の水瓶を覗き込む。澄んだ砂漠の空のようだった青い瞳が、ほんの少し淡い紫に変色している。
「んまぁ、こんなもんか。あんな綺麗な紫にはならねぇもんなぁ」
そのまま再び足を進めると、残った青い左目の上にそっと白い皮の眼帯をつける。フードの端から覗く太陽のような濃い金色の髪を丁寧に隠して、腰の小さな入れ物からありったけの銀の腕輪や指輪を出して気楽な様子で付けていく。
「なぁに、銀の戒めを本当に見たことがある奴なんて滅多に居ないんだ。このおいらだってさっき初めてみたんだから。こんなもんでも騙されるだろうな」
小さく独り言を言うと、ひょいと脇道を覗き込む。アザラの宿の裏道だ。その窓に小さな黄色い布が掛けられているのを見ると、小さく頷く。
「よし。時間は大丈夫、と。さぁて、このタオさまの博打の時間だ。まぁ、見ててくれってよ」
タオは駆け出す。反対側の帝国側の門の傍で、追っ手の目を一時引きつけなくてはならない。追っ手の人数がさほど多くないことは分かっている。だとすれば、うまくいけば殆どの追っ手を一時ひきつけておく事だって可能だろう。本気で大変な事態に陥ったら、眼帯とマントを外して見せればいくら追っ手が馬鹿でも目的の人物じゃないことなんて一目瞭然だ。
「宿の方はイオスの旦那に任せて、と――いまいち心配だけど、まぁ博打にかけちゃおいらとどっこいの筋金入りだからな、何があっても適当に言い逃れすんだろ」
独り言を言ってくつくつと笑うと、タオはマントの裾から日に焼けない白い腕を伸ばした。キラキラと銀の腕輪が小さな音を立てながら手首から肘へと落ちていく。そして、大きく開いた店に飛び込むと、あっけにとられた様な店の主人にすがり付いた。
「助けて。どうか、助けてください」
もう、その無邪気な顔から人を喰ったような笑みは消えている。かわりに幼さが残るような白い顔に浮かんでいるのは、恐怖と怯えだ。
「どうしたんだ? 誰かに追われてるのか?」
店の中の客までもが、突然飛び込んできたタオを驚いたような顔で見ている。
「助けて……」
掠れた声で呟くと、タオは初めて気がついたように、マントからむき出しになっていた細い腕をマントの中に押し隠した。銀のきらめきが微かに視界に残ったのを見て、店主がはっとしたようにタオの顔を覗きこむ。
「紫の隻眼……?」
「どうか、助けて」
タオは店主から顔を背けて、なおも掠れた声で繰り返した。広場での騒ぎは街中に知れ渡っているはずだ。もちろん、その後、人相の悪い連中が『銀と紫玉でできたような少年』を捜していることも、捜させているのが悪名高い貴族だということも知れ渡っている。町の人間は、総じてその貴族には反発しているはずだが、表立って対立することも出来ない。こうして飛び込んできても裏口から逃がしてくれるのが関の山だろう。
だが、それがタオが望んでいることだ。ようは『銀と紫玉でできた少年』が、立ち寄った軌跡を残して行けばいいのだから。
「追われているんだな?」
タオはこくりと頷いた。そして、通りを怯えたような瞳で眺める。今にも追っ手がそこから現れてくるのではないかというように。
「よし、こっちだ。裏口からお逃げ」
店主は慌ててタオの体を店の奥に押し込めると、裏口の扉を開く。そこにはやはり細い小道があって、その先の横道を曲がると、一本外の通りに出ることができるのだ。
「さぁ、早く」
タオは小さく礼を言うと、通りを駆け出す。また次の通りに出たら、なるべく客の多い店を選んで飛び込んでは裏口から抜け出す。そうして行く目的の場所は帝国側の門――。
蜘蛛が張る網のように、少年が立ち寄った軌跡が残っている。追っ手がその網にかかれば、ある程度の時間は稼げる。二人のために用意した馬とラクは足が速い。騙されたと気がついて追っても、追いつくまでには時間がかかるはずだ。
「おもしれぇ」
タオは小さく笑うと、再び横道を曲がって出た通りで、走りながら飛び込む店を物色し始めた。