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オリジナル異世界ファンタジー:「月蝕―Eclipse―11番目の神」
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第一章『真実の扉』 [ 6 ]

 その紅い瞳に気がついたのは、グルの店を出てすぐのことだった。確かにフォルマティオの容貌は目立つが、傭兵の行き来も多いこの町では目を引くといっても一時のことで、何度か姿を見ればすぐに、この町の人間はその存在に慣れてしまう。だが、その視線はグルの店を出てからずっと、フォルマティオの背中を見続けている。殺気は感じない。どちらかというと、非常な興味の視線と言ったらいいだろうか。
 人ごみを過ぎ、十分に周りに余裕ができたところで、フォルマティオは思い切って振り返った。瞬間的に剣の柄に手をやる事も忘れない。
「にゃ〜ん」
 まるでそれを待っていたかのように、その紅い瞳はフォルマティオを見つめて鳴いた。黄金の毛並みに紅玉のアーモンドの瞳をのせ、小さな口元からは短いが鋭い牙が覗いている。そのまま、猫はフォルマティオの足元に擦り寄るとごしごしと額を摩り付け始めた。
「懐かれても困るんだが……」
 フォルマティオは苦笑してその猫を片手で掬い上げた。吊り上ったアーモンド型の瞳を見ると、思い出の中の、かつてこの身を賭けるほどに愛した人物の面影がまぶたに浮かんで消えない。小さくため息をつくと、フォルマティオは猫をおろし、その喉元を指先で掻いた。
「おまえを飼ってやれるようなゆとりは俺にはないぞ……」
 そのまま再び宿に歩き始めると、どうやら背後でじっと自分を見つめているらしく、小さく鳴き声がした。

 思い出の中の愛しい影、レイアは、吊り上った猫のような瞳を持っていた。その瞳の右は紅玉、左が黄玉、細い白鳥のような首筋には所有者の証の黄金の首輪が付けられて、柔らかな白い肌には一面に呪詛が刺青されていた。遠い昔に滅びたといわれる半人半獣の異形は、その全身を魔都の呪いに飾られながら、それでも穢れのない瞳でフォルマティオを見つめた。魔都の支配者ジンの愛玩物として生きながら、彼女はなぜ、穢れることなく生きていたのだろう。フォルマティオは未だその瞳を忘れることはできない。
「レイア……」
 思わずフォルマティオはその忘れられない名前を呟いた。足元に暖かなものが擦り寄った。
「にゃ〜ん……」
 背後に置き去ったはずの猫はその足元にじゃれつき、一瞬全身に力をこめると、一気にフォルマティオの肩に飛び乗った。きらきらと紅玉が太陽に煌き、柔らかな毛並みがフォルマティオの頬を滑る。
 しょうがないというようにため息をつくと、フォルマティオは猫を肩に乗せたまま宿への道を歩き始めた。女将に飼い手を探してもらえばいい。夜ともなれば旅人だけでなく地元の男たちもが食事を摂りにやってくる。誰か一人くらいは猫の飼い手も見つかるだろう。
 すれ違う人のほほえましげな視線が多少むず痒くはあったが、騒ぐでもなく肩の上でじっとしてる猫をいまさら手にとるのも面倒で、フォルマティオは口元にかすかに苦笑を浮かべたまま足を速めた。

 用心のために回り道をし、尾行がない事を確認してから、フォルマティオは少し傾き始めた太陽を背に宿の扉を開けた。夕食の準備の始まった宿の一階では女将の作る甘いスープの香りが漂っている。声をかけようかとも思ったが、少し時間にゆとりのある頃でいいだろうと思い直し、猫を肩に乗せたままフォルマティオはマティスの待つ部屋へと向かった。
 軽くノックをした後、扉を開けると、マティスはベッドに手足を伸ばしたまま横になり、ぼんやりと天井を見上げていた。
「マティス、具合はどうだ?」
 声をかけられて初めて気がついたのか、慌てたように起き上がると、肩の上の塊を見つけて、不意に大声をあげて笑った。
「フォルマティオ、なんだいその猫……」
「なんだか、懐かれて……」
 マティスの声を聞くなり、猫はピンと耳を張り、紅い瞳を大きく見開いてマティスを見つめた。
「紅い目か、珍しいな……」
 猫はぱっとフォルマティオの肩を飛び降り、ベッドに飛び乗ると、興味を惹かれたようにマティスの顔を覗きこんだ。何気なくマティスの指が猫の背に触れた。

ドクン。

 触れた指先が脈打ったような不思議な感覚。猫は窓から差す日の光を瞳に受けて鳴くように口を開けた。二本の小さな牙がきらりと紅く光り、金の毛並みが脈打った。
「これは……」
 マティスの口元に微妙な笑みがこぼれた。猫の額を用心深く弄ると、柔らかな毛並みに隠れて第三の閉じられた目があることが分かった。

 やはり、これは猫ではない。マティスは小さく微笑んだ。

「我が名はマティス。汝の魂にこの名を刻み込むか?」
 マティスの声に応えるように、ゆっくりと額の瞳は開かれた。色素のない、恐ろしく透明な銀の瞳。その瞳には今、マティスの姿が映っている。

 額に第三の目を持つ獣、それは魔獣の証。その姿は地上の多くの獣の形に似て、閉じられた第三の目に映したものを自らの主人と定めるという。非常に高度な魔道士と言霊使いにしか使役することはできないともいわれるが、実際には使役されることを望む魔獣は少ない。今、ここに居る魔獣がマティスが居ることを知り、そのために自ら望んで訪れたのかどうかは定かではないが、確かにこの獣はマティスを主とすることを望んだのだ。

「おまえの名は?」
(私ハれな。オ前ノ言ノ葉ヲ炎ノ剣ニ変エルモノ)
 ゆっくりと、額の銀の目は閉じられていく。
「レナ……」
 マティスはその小さな体をそっと抱き掬うと、金の毛並みに指を絡めた。フォルマティオは不思議そうにそんなマティスを見つめている。マティスはレナを抱いたままゆっくりとベッドから滑り降りると、テーブルの上に置き忘れてあった銀の飾り輪を取り、そっとレナの首にかけた。紅い宝玉のついた飾り輪はレナの瞳の色とよく合った。
「マティス?」
 フォルマティオは何が起こっているのか分からないと言いだけな表情で問い掛ける。マティスはただ笑って見せた。
「フォルマティオは何も知らずに連れてきたんだね?」
「勝手についてきたんだ、この猫が」
 レナはマティスの手から身を捩って逃れると、フォルマティオの足元に体を摺り付けた。甘えた声を出し、抱き上げてもらうと嬉しそうにその頬に額をこすりつけた。マティスはそんな様子に肩をすくめる。
「なんだ、主は僕でも、懐くのはフォルマティオの方ってわけ?ゲンキンだなぁ……」
(妬イテルノ?)
「誰に向かって言ってるんだ?」
 問い掛けるフォルマティオに向かってマティスはくすりと悪戯っぽく笑い、優雅に白い指先をレナのほうに向けた。
「この『猫』さ……」
 マティスの答えに、まったく理解不能だと言いたげに首をかしげて、フォルマティオはレナをしげしげと眺める。レナはというと、ただ可愛らしく応えるように首を傾げて、小さく甘えた声で鳴いて見せた。
「フォルマティオも今に分かるよ。この『猫』がどんなものであるか……。今に、ね……」
 悪戯な笑顔を崩さず、マティスはそっとそんなレナの背に指を伸ばした。柔らかい毛並みの下の筋肉が一瞬ぴくりと応えて、逃れるようにスルリと床に降り立つと、レナは敏捷にテーブルに飛び乗り、ゆっくりと大きく尻尾を振った。
(『猫』ダナンテ失礼ダワ……)
 マティスにしか聞こえない声で反論するレナに思わず爆笑したマティスを、フォルマティオはどうにも理解できないというように肩をすくめ、問い掛けることも諦めてマントを脱ぎ始めた。


 グルが人目をはばかるようにしながらカナリの宿の扉をくぐったのは、少し夜が更けてから――夕食目当ての客が少し少なくなってからのことだった。前もってフォルマティオにそう告げられていたアザラは、他愛もない世間話を交わした後、グルをフォルマティオの部屋へと案内した。客の少なくなった店内には怪しげな者の姿はない。宿に泊まっているものといつもの常連客、そして店の商売を手伝う数人の少女の姿があるばかりだ。
「フォルマティオ……」
 小さく扉をノックして名を呼ぶと、フォルマティオはすぐに扉を開けた。後ろにグルの姿があることを認めると、無言のまま部屋に入れ、ちょっと待っていてくれと言い残して隣の扉を開けた。
「マティス、ちょっと来てくれ」
 ベッドの上で性懲りもなくレナと戯れていたマティスはその声を聞いて敏捷に起きると、レナをベッドの上に置いた。
「怪しい奴が来たら知らせるんだ、いいね、レナ……」
 大人しくベッドの上に座ると、レナは承知したというように大きく尻尾を振った。フォルマティオはそんなマティスの様子を見て、再び肩をすくめた。本来、年相応なのかもしれないが、レナ相手に真剣に言葉をかけている様は幼くすら見える。
 マティスはまだ乱暴には扱えない左足を用心しながら、フォルマティオの元へ進み、そのままグルの待つ部屋へと消えた。
「紹介する、タロンの情報屋、グルの親父だ。俺が傭兵を始める前からここで情報屋をやっている。これは俺の雇い主、マティスだ」
 グルは目の前に現れたマティスの美貌に目を丸くし、その後、不意に思い出したように呟いた。
「昨日、広場に現れた銀の神ってな、お前さんかい? 絶世の美女、銀のシャトアだのすごい言われようだったが、なるほど、実物見りゃその話も頷けるな……」
 それはどうも、と優雅にお辞儀をして見せてマティスは椅子にドカリと座った。左足を不自然に持ち上げたままでは非常に疲れるのだ。
「あぁ、これは頼まれてた傷薬さ。携帯に便利なように皮袋に小分けにしてある」
 グルは腰に下げていた袋からいくつかの皮袋を取り出すと、テーブルに置いた。代価を出そうとするフォルマティオの手を遮り、しみじみと下からその顔を覗きこむ。
「代価なんて要らん。変な話だが、わしはお前を実の息子のようだと思っとる。息子が死んだ翌年に、息子が死んだ森からお前はやって来た。全身に傷を作り、生きているのが不思議なくらいだったが、お前は生き延びた。息子の代わりだとわしはそう思っとるんだよ。もちろん、本当の息子はお前のようにいい男でも剣の使い手でもなかったがね……」
 体にさえ気を付けてくれればそれでいいんだ、と言って、グルは笑った。そして照れを隠すように懐からキセルを取り出すと火種をつけた。
「マティス、足を出せ……」
 グルの好意に素直に礼を言うと、フォルマティオはマティスの足元に跪き、傷にその傷薬を塗りこめた。油薬を塗りこめると、かすかにピリピリとする小さな痛みが走って、傷口が熱くなった。だが、昨日の薬草のように体力を消耗するほどの痛みではない。
 グルはそんなフォルマティオの様子をじっと見つめると、小さく溜息をついた。それに気付いて顔を上げたマティスは、グルの顔が思いのほか険しいことを知り、微かに眉根を寄せる。
 年輪の刻まれた頬に微かに苦しげな色さえ浮かべて、グルはフォルマティオを見つめていた。

 
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