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オリジナル異世界ファンタジー:「月蝕―Eclipse―11番目の神」
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第一章『真実の扉』 [ 2 ]

 ゆっくりと地面に落とした布を拾い上げ、その細い肢体を隠すと、マティスはフォルマティオを振り返り笑った。
「あんたの雇い賃だよ。これくらいで足りる?」
 フォルマティオは睨むようにマティスを見つめた。
 何かに腹が立ったというわけではない。だが、どうにも釈然としないものがある。
「お前の依頼は断る」
 ぶっきらぼうにそう言うと、フォルマティオはくるりとマティスから背を向けた。

 気に入らない。自分は金が良ければどんな依頼でもやるような傭兵ではない。困っているなら依頼云々ではなく助けてやるだろう。なのにこの様子は何だ?踊り金を群集から巻き上げ、さらにその金で仕事の依頼をするだと?気に入らない。
 金は皆に返せと言うために振り返ったフォルマティオの視界に、マティスに近付く一人の男が入った。

「なにか?」
 細い、マティスの声がする。
 太ったその男は上等の服を着て、その指に異様なほどの宝玉をつけ、身なり自体はきちんとしている。だが、どこか醜悪な印象を受ける。男は分厚い唇に下品な笑みを浮かべてマティスの全身を舐めるように見つめた。
「素晴らしい舞だった。私の屋敷でもう一度その舞を見たいのだが…」
 ちろちろと瞳の奥に垣間見える下卑た欲望の色に吐き気さえ出そうになる。
「それは……、嬉しいお言葉ではありますが……」
 断ろうとしたマティスの手を強引に掴むと、男は言葉をつなぐ。
「褒美は金がいいか?美しい服か?お前のその美しい瞳に合わせて紫水晶の額飾りも作ってやろう」
 言いながらぐいぐいと油ぎった顔をマティスに近づけてくる。
 フォルマティオはすぐにそれがこの街でも悪名の高い貴族だということがわかった。金と脅しと暴力で自分の望むものを奪い、飽きたらゴミのように捨てると、聞いた覚えがある。
「それは……」
「主に何か御用でしょうか?」
 不意に逞しい腕がその男の腕を振りほどいた。常に剣を携帯している者特有の指の変形が見える。
「フォルマティオ……」
 あからさまにほっとしたようなマティスの声色にフォルマティオは小さく苦笑した。
「いや、何。あまりに美しい舞だったのでな……」
 男は一瞬ひるみフォルマティオを見上げ、その右頬の傷を見るや顔を強張らせた。モゾモゾと訳の分からないことを呟きながら腕を引っ込め、貼り付けたような笑顔を二人に向けて後退りする。

 その時、空気が鳴った。

「危ない!」
 フォルマティオはマティスを横抱きに抱くと、飛び退る。今まで二人が居たところに黒い矢が二本突き刺さっていた。
「ひ、ひ〜っ」
 マティスに声をかけていた男は潰れたような声を出しながらしりもちを付き、そのまま這いずるようにして見苦しくもがいた。狙われたのはこの男なのだろうか、だとしたら別段助けてやる必要もないのだがと、フォルマティオはいささか意地の悪い自分の考えに一瞬苦笑を浮かべた。
「誰が……」
 あたりを見回そうとしたその時、再び空気が鳴り、足元に矢が突き刺さった。矢の刺さり具合からいって、おそらくはかなり遠いところから射ているに違いない。
 狙いはフォルマティオか、マティスか。
 三度、空気が震えた。なんとあっても標的を仕留めようという気らしい。
「マティス、逃げるぞ……」
 フォルマティオはマティスの手を掴むと、矢の降ってきた方向とは正反対に位置する道に引きずり込んだ。背後でようやくその矢の襲撃に気がついた群集たちが悲鳴をあげ、広場は騒然とした雰囲気に包まれはじめていた。


 横道に入りしばらく細い路地を走って、ようやく広場の喧騒も届かないような場所までたどり着いた。多くの町の例に漏れず、このタロンもまた広場を中心として放射状に広がった道とそれを繋ぐ横道で町が作られていて、とにかく身を隠すだけならいくつも方法がある。
「ここまで来れば、大丈夫か……」
 さすがにフォルマティオも息が上がってしまっている。マティスにいたってはもう、引き摺られ口さえもきけない。
 ようやく掴まれていた腕を離されると、マティスはずるずると傍の壁にもたれかかった。
「やっぱ、目立つことはするもんじゃないな…」
 投げ出されたその細い足に血が滲んでいるのを見て、フォルマティオは傍らにしゃがみこんだ。薄い足袋しか着けていなかったために走っているうちに右足の親指の爪が剥がれたらしい。足袋を脱がせ、携帯していた酒を傷口にぶちまけると、マティスが悲鳴をあげた。
「ちょ……、乱暴な……」
 そんな様子は気にもとめず、フォルマティオは自分の手首に巻いていた包帯をとって器用に巻きつけた。
「あんた用意いいね」
「商売道具だからな」
 立ち上がろうとするマティスを止め、脱がせた足袋の足先を剣で切り落として再度履かせる。痛むのかちょっと触れただけで小さな悲鳴が上がった。
「お前、本当に狙われていたんだな」
 微かに驚きさえ含んだフォルマティオの言い草に、ようやく手当ての終わった足をそっと体のほうに引き寄せて、マティスは呆れたような声を上げた。
「だからあんたに護衛を頼んだんだろう?まったく、依頼の金を作るためにあんな自殺行為とも言えるような派手な真似までしたっていうのに……。おかげで狙われるは、足は怪我するは。しかも当のあんたは依頼は断るなんて言うし……」
 急にしょんぼりと小さくなってしまったマティスを見て、フォルマティオは頭を抱えた。根本的にどこかこのマティスという人間はフォルマティオの常識からずれているようだ。妙に大人びた世間馴れしたようなことをするかと思えば、子供のように目的のために突っ走ってみたり、言霊を使って人の魂を奪うかと思えば、うまくいかないと拗ねてみせる。
 血のにじんだマティス爪先を見て、フォルマティオは溜息をつきながらマティスの横に腰を落ち着けた。
「何故狙われている。相手は誰なんだ」
 探るようにマティスの片眼がフォルマティオを見つめた。吸い込まれそうなほどに透明な紫の瞳は微かに不安の色さえ浮かべている。
「知ったら、逃れられなくなるよ……」
 そう言ってもフォルマティオの顔色が全く変わらないことを見て取って、マティスはゆっくりと左眼の飾りを取った。キラキラとした輝きが消えると、その銀の髪をぐいと持ち上げる。美しく閉じられた左の瞼の上に、黒々と三日月の刺青が横たわる。長い睫毛の上から目を凝らさないと良く見えないほどの細い糸がその上下の瞼を縫いとめていた。
「新月の封印…?」
 今までこの目で見たことはなかった。神官や神女の中でも特に霊能力の高い者、魔力の強い者は、その片目を封印することによって魔に魅入られることを避けるという。だが、そうまでしなければならない者は稀だ。しかも、封印を抱いた人間は一生を神殿で終えることが多い。最近では、もう百年ほども生きているという光の大魔道使いがそうだったと言うが、二年程前、風の噂で息を引き取ったと聞いた。
 マティスのあの力は、封印されてまでもあれほどの威力を持っているとでも言うのだろうか。
「そう。五年前に帝国で起こった大きな事件を覚えているかい?夏の暑い日のことだったけど……」

 五年前の夏。たしか、巨大な彗星が空を覆い、夜だというのに赤紫に空が照らされていた。彗星は凶星だと言われ、皆、不吉な兆しに怯えていたが、それを証明するかのように光の女神エクリヴィアラの神殿が焼け、大神官が焼死した。
「僕が十二の時だった。僕が隠されていたエクリヴィアラの神殿は炎の中に消え、僕はこの瞳を封印され、闇の追っ手から逃げることになった……」
 その時の様子を思い出しでもしたのだろうか、マティスは小さく震えて両手で両肩を抱きしめる。はらりと髪が落ちて、無残に封じられている左眼を隠した。
「お前、神官だったのか?」
「いいや……」
 マティスがそのフォルマティオの声に答えようとした時、不意にフォルマティオが片手でその唇を覆った。
「しっ」
 耳を澄ますと、微かではあるが数人の人間の荒々しく走ってくる音が聞こえる。
「用心に越したことはない。身を隠そう……」
 マティスの体を横抱きに抱くと、フォルマティオは周囲に目を走らせた。傍らの民家の片隅に物置らしい、材木や折れた木々の枝の散乱した小さな小屋があることを見て取ると、敏捷にその隙間に身を隠し、外から見えそうな体の節々を枝や材木でカムフラージュする。不自然な形に体を曲げつづけるのは、時間が経てば経つほど苦しくなっていくが、他に身を隠せる場所はなかった。
「ちょっとの辛抱だから……」
 苦しげに顔をゆがめているマティスにそっと囁くと、フォルマティオは耳を澄ました。足音は確実に近くなってきている。音から察するに、二、三人の人数だろうか。次第に足音は鮮明になり、声さえ聞き取れるほどになった。

「おい、居そうか?」
「いや……」
「確かに血の痕はこっちに向かっていたんだろうな?」
「だと思ったんだが……、さっきの曲がり角で横に入ったのかな」
「くそ、ようやく見つけたと思ったのに」

 血の痕!
 しまったというようにマティスが唇を噛み締めた。思っていたよりずっと早い段階で怪我をしてしまっていたらしい。走っていたときには全然気がつかなかったのだが、身に着けていたのが薄手の足袋だったために、地面に血の痕を残してきてしまったのだ。
 思わず体を硬くした拍子に先ほど手当てされた場所に材木の角が当たった。
「っ……」
 思わず声を殺した時にはもう遅かった。
「今、声がしなかったか?」
「声?」
 万事休す。男たちの声は近付いてきている。フォルマティオはそっと剣に手をかけ、その声から飛び出す距離を測った。一撃で剣の届く範囲にきたら飛び出して、まず一刀目で一人を確実にやらなければならない。声から判断して男は三人。二人に減らせばそれなりの使い手相手でも何とかなる。
 次第に近付いてくる声に向けて体をバネのように硬くしたその時だ。ガタリと体の横で音がして、何か小さな生き物が体の横をすり抜けた。

 にゃ〜ん。

 甘えたような声がして、その小さな生き物が敏捷に材木の上から民家の屋根へと飛び移った。
「猫か……」
「くそ、手前に戻って、横道だ」
「なんとしても見つけろ……。そうしないとジン様に申し訳がない……」
 ゆっくりと声と足音は遠くなっていく。十分にその足音が遠ざかるまで、フォルマティオは息を殺しつづけた。最後に聞こえた男の言葉に、一瞬カッと全身の血が熱くなったような気がした。

 ジンと言った。
 ジンという名はそうそうある名ではない。なぜならジンという言葉には魔王という意味があるからだ。あのジンに違いない。ジン・オロバスロイム、魔都カノーリアの支配者。魔都カノーリアと共に九年前、あの男は水の中に沈んだのではなかったのか。
 耳を澄ましても全く足音が聞こえないことを確認して、フォルマティオはようやく全身を覆う木々の枝を体から振り落した。マティスの上にかかってる材木をよけると、さすがに苦痛だったのか青ざめた顔が覗いた。
「大丈夫か……」
 マティスは立ち上がろうとした拍子にまた足をぶつけて、小さくうめいた。巻いた包帯にも新たに血が滲んでいる。フォルマティオは仕方ないというようにマティスを抱えあげると、用心深くあたりに視線を走らせた。
「宿に戻ろう。あの宿はこの町に来た時はいつも使っている宿で、女将は信用がおける人間だ。とにかくこの傷を何とかしないと……」
 抱えあげた体は頼りないほど細く、そして軽い。もしもマティスを狙っているのがあのジンだとしたら、追っ手が魔道士ではなかったことを幸運に思うべきだろう。もっとも、こんな田舎の宿場町に不意に魔道士が訪れたらそれだけで人の噂になり、隠密でなど動けないため、差し向けたくても差し向けられなかったのかも知れないが。

 フォルマティオはマティスを抱えたまま走り始めた。幸い宿屋は男たちが消えた方向とは逆の方向にある。

 その後姿を紅い二つの瞳がじっと見つめていることなど、二人はまだ知るはずもなかった。

 
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