JSUsed CSSUsed
不条理ホラー小説:「自画像」
HOME
ホーム > 小説一覧 > 小説
 
 
 

『自画像』

 それは不思議な葬式だった。
 黒い服で埋め尽くされた空間には、鼻腔を甘く焼く線香の匂いが漂い、ご婦人達がこぞってつけているらしい、甘ったるい香水の匂いと溶けて妙に鼻についた。
 喪主である妻は、いかにも、という仕草で目頭を押さえながら、そのくせあまり悲しそうには見えなかったし(まぁ、生前の旦那の浮気に泣かされていたことを思えば、それもわかるような気はしたが)、焼香をするときはさすがに生真面目な顔をするが、少し場を離れるとまるで何もなかったように世間話に興じる参列者も多かった。
 雑誌記者である俺はというと、亡くなった高名な画家とは何の面識もなく、参列するどれも各界の有名人である画家の友人達を取材すべく駆けつけたというわけなのだ。

 仮面劇だなぁ。俺は心の中で呟いた。
 今、流行のCMのコピーではないが、確かに人は「黒で悲しみを装う」のだろう。

 ふと、祭壇を見つめて俺はギョッとした。本来遺影が飾られるべきところにあるのは、不自然な未完成の肖像画だ。ざっとあたりをつけて描かれた背景と衣服、髪の上に、不自然なほどリアルに顔だけが描かれている。実物を通り越したようなリアルな肖像画というものはどこかその人物の内面のすべてを赤裸々に描き尽くしているようで、思わず吐き気を覚えた。
 何処の誰だよ、あんな絵描きやがったの。周りに聞こえないように舌打ちをしたそのとき、俺の耳にその絵の情報が飛び込んできた。
「あの絵、絶筆だったらしいですよ」
「へえ、自画像が絶筆だなんて、なんだか不気味だな」
「それが、また、不気味な話でさ。亡くなった時、奥さんは旅行中で、3日後に発見されたらしいんだけど、ほら、この夏の暑い最中のことでしょう?」
 俺は声の主を捜した。妙に神経質な声の主は、ほんの少し声を潜めた。
 居た。あいつだ。背の小さな、色の白い、貧相な黒服。
「顔とか、見られたものじゃなかったらしいですよ」
 なのに、筆を握った手だけがやけに生き生きとしていてさ。

 思わず想像して、俺は再び、眉をひそめた。連日35度を上回る猛暑の中、クーラー嫌いの画家は北向きの風通しの悪い部屋でたった一人で死んだのだ。3日の間、自分の躯を見つめつづける羽目になった自画像は、顔が完成していたがゆえに写真嫌いの画家の遺影代わりにされることになる。
 3日間、自分が物体に変化していくのを見つめつづけた自画像、か。
 俺は再び肖像画を見つめた。ぎょろりとした画家の瞳が、にたりと薄く笑った気がして、おれは思わず目をそらすと、触らぬ神に祟りなしとばかりに背中をむけた。



 北野というその画家は、主に風景画を得意とした画家で、代表作は廃船になった船を描いたものだ。それ以外にも廃艦になった軍艦の絵、廃線になった列車の絵など、いつも「滅び逝くもの」を描いていた。
 だからこそ、この絶筆の自画像は俺に嫌なことばかり想像させていけない。やけにオカルトチックな妄想は、その手の雑誌なら使えそうなネタだ。
 なのに、こともあろうに今回新聞社で組む北野の特集記事を任されてしまった。確かに特集記事を何人かのスタッフを自由に使って好きなように書けるという機会は、俺にとっていいチャンスには違いない。だが、嫌な気分がするのだ。また、あの自画像と向き合う羽目になるかと思うと、いっそ誰かに代わって欲しいくらいだ。
 気晴らしにいい関係の女のところにでもしけ込もうかと電話をしたが、むげに断られた。最近仕事でかまってやらなっかったのが原因らしい。

 くそ、もう寝ちまえ。

 俺は布団に入った。



 俺は椅子に座っていた。妙に質感のない空間が俺の周りには広がっている。
「あぁ。動くな」
 誰かの声に、俺は驚いて立ち上がろうとした体を止めた。
 何言ってんだよ、誰だよ、お前。
 口にしようとして違和感を覚えた。自分の口が動いている、という感覚がない。
 目を凝らして向こう側を見つめると、誰かの手が動いている。使い込まれたいい艶のある、皺の多い手。ふと、イーゼルの向こうから顔がのぞいた。
 北野だ。
 なんだ、夢か。畜生、夢でまで俺に肝を冷やさせやがる。夢に見るほど悩んでるのか、この俺が。けたくそ悪い。
 夢だと感じると、安心したのか、俺は椅子に背中を預けた。
 ぶらんと手を椅子の横にぶら下げて、眼だけを動かしてあたりの様子を探った。どうやら、俺の部屋らしい。夢らしく、足元に自分の布団があるのが笑えた。
 北野が絵の具を混ぜる音がする。この状況はおそらく、俺の肖像画でも描いているのだろう。夢とはいえ、高名な画家が自分の肖像画を描いているというのは、なんだかこう、くすぐられるような気分だ。
 絵の具をキャンバスに走らせる音がやけに大きく耳に響く。
 そういえば、ダイナミックでかつ繊細という不思議な評価のされ方をする画家だったな。力をこめて描かれた線の力強さは定評があった。
 なるほど、この、音、か。その評価も良く分かる。
 俺は、イーゼルの向こうをよく見ようと目を凝らした。ぼんやりと北野の顔が見える。なるほど自画像そっくりだ。まぁ、あれだけリアルに描かれていたのだから、あたりまえか。ただ、あの絵ほど酷薄な印象は受けない。
 視界の中で、北野の手が動くのが見えた。筆の動きが見える。
 けっ、夢ってやつは都合よくできてやがる。この位置からやつの筆が見えるわけがない。
 そのとき、北野の薄い唇が嬉しそうににっと笑った。
「嬉しいよ、君が僕と同じ場所まで来てくれるなんてね」
 吐息混じりの声が耳を打った。やけに近い声。息混じりの掠れまで、克明に聞こえる。そんなに近いわけがないのに。
 俺は、いやな予感がした。
 俺は、ゆっくりと右手を上げ、あごに手をかけた。剃り忘れたひげがざらつく。内心ほっとして、そっとひげを追っていく。

 俺のくちびる。
 つるりと手が滑って、額にかかる髪に触れた。
 俺の、は・な?。

 まさか。

 目の前に北野のにやついた顔がある。
 筆が俺のおぼろげな視界の中で、確実に俺の顔に触れている。

 いやだ。お前の自画像の真相なんて知りたくない。

 俺は絶叫した。北野が冷たく笑うのが見えた。



 遠くで電話の音がしている。呼び鈴が3回鳴って、留守電に切り替わった。
 編集長の怒りを殺した声が聞こえる。
「おい。いいかげんにしろ。もう2日だぞ、今日はお前の部屋で待たせてもらうからな」
 そうだ、はやく来てくれ。来て、俺を見つけてくれ。
 俺の目の前にある、俺の体を見つけて、荼毘にふしてやってくれ。

 俺は、俺の布団の上の、変わり果てた顔のない俺を見つめながら、キャンバスの中で唸った。

 
1999.10.03.