微笑みの謎
内分泌疾患を中心に診察する内科――なんていう言い方をしましても、たぶん実感はわかないかと思いますが、大雑把に体の中のホルモンのバランスが色々な理由で変になってしまっている病気を治す内科だ、というような言い方で分かってもらえますでしょうか……?(質問してどうするのじゃ;)
循環器内科がなんとなく物理学っぽい分野のような気がする(心臓はポンプでございますし、血液の流れは流体力学でございますから)ように、内分泌の内科はなんとなく生化学っぽい分野(のような気がするもの)なのでございます。つまるところ、ぶっちゃけた話、ワタクシ達の実習グループの中ではなんつーか、チマチマと面倒くさいカンジがすると不評だった科でございました。
もともと、ワタクシ達のグループは全員が体育会系の部活動に所属しているという強固な背景を持った、大変な実習が終わるたびに飲み屋で騒ぎ、クリスマスに突然ボーリング大会なんぞを開催して鍋を喰らったり、誕生日のような丸ケーキを買ってきて「ケーキ入刀――なんちて」などと阿呆なことをやっている典型的な体育会系的実習グループでございましたから、内科の実習は苦手でございました。外科の実習は勉強していなくて知識がなかろうが体で動いたもの勝ちのようなところがありましたから、体育会系的なワタクシ達は水を得た魚のようでございましたが、知識の正確さを要求される内科では、寒く冷たく凍りついていたのでございます。そして、全ての内科の中で、この内分泌疾患の内科こそが、もっとも細かく、もっとも(できない学生に)冷たく、もっともレポートが厳しいと評判の科でございました。
ワタクシ達は感じておりました、この科は絶対に鬼門だと。そして、その予想はたいがいにして当たるのでございます。
ワタクシ達の最初の試練は外来の実習でございました。
あらかじめ学生実習に協力していただくことを了解していただいた患者さんに、学生が束になって初診をとらせていただき、偉い先生に診察の結果を報告しつつ、その偉い先生が学生の診察報告が正しいかをチェックなさるのです。
ワタクシ達は白衣についた生理的な香りを気にしつつ(そう、その診察の前にワタクシ達は内科外来恒例の大検尿タイムを経験していたのです)診察をさせていただく。なぜか患者さんは微笑みさえうかべてワタクシ達の動作を楽しんでおられる……; 何故;
喉をゴックンしてもらう(甲状腺を触れるのだ)時に友人Aが押し過ぎて息が苦しくなっても、血圧を測っていた友人Bが圧迫時のカフ圧を上げすぎて腕が痛くなっても、ワタクシが腎臓を触れる際に腹を押しすぎても、何事もなすがまま、咳き込みつつも微笑みながら温かく見守っておられる……; まるでお地蔵さまのように優しい慈愛の微笑で、ワタクシ達を見つめておられる……;
そして、診察結果を報告するワタクシ達が、ことごとく偉い人に叱られ「ダメ」「間違い」「誤解」「理解不足」と冷たくあしらわれようとも、その微笑が消えることはなかったのでございます。
なんて優しいおばぁさまなんだ(感涙)
そして、嵐のような実習が終わりを告げ、偉い人がいったん奥に引っ込んだとき、その慈母のようなおばぁさまはこっそりとワタクシ達にこういわれたのです。
老婆「頑張ってね。めげちゃダメよ」
友人A「は、はい!(感涙)」
老婆「あのね、実はね孫が○○大学の医学部でやっぱり病院実習をしているの。だからね、きっと孫もこんな風に実習しているのね。孫の居る病院に行って孫を見ることは遠いから出来ないけど、貴方達を見ていて、きっと孫もこんな風に実習しているのねって思ったの」
友人A「え、あ、その……」
老婆「だから、嬉しかったわ、診察してもらえて」
おばぁさま、ご期待に沿えず申しわけありませんが、きっと――というかおそらく絶対、お孫さんの場合はこんなに叱られたり苛められたりせず、速やかな知識と技をもって実習を行っていらっしゃると思います(涙) スンマセン、スンマセン、こんな哀れで不甲斐ない実習で(号泣)
見たこともない遠い地のお孫さん、スンマセン、こんな実習姿をしていると思わせて(涙)
心の中で涙にくれるワタクシ達に気付かず、患者さんは最初の頃と変らぬ慈母の微笑を浮かべて、付き添いの娘さんに手を引かれて去っていかれたのでございました。