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 医学生の謎
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これはある医学生の赤裸々な回顧録である――と思いマス。
 

夜明けの謎

 さて、切なくも厳しく、そして大好きな手術がいっぱい詰まった外科の実習の終了後、同じく腹部の疾患を扱う内科の実習が始まったのでございます。この科の特徴は、何はなくても実習時間の長さ、拘束力の強さ、そして睡眠時間の少なさでございましょう。
 朝は採血のお手伝いで朝食前に登場せねばならず、その後コンビニ朝食をかきこみ、朝のカンファレンスに陳列され――そう、まさに陳列である――外来実習をこなし、午後からはそれぞれの担当教官にくっつき虫で検査に診察にと走り、夕方にはさらにカンファレンスで陳列され、ようやく開放されたと思った次の瞬間から、自分の担当患者さんのカルテまとめ・検査データグラフ作成・画像勉強・レポート作成・疾病理解と、終わりは見えず、大抵夜中過ぎまで学生用の部屋で鉛筆を走らせ続け、帰宅後、睡魔に侵される体に鞭打って風呂に入り、泥のように眠る日々――。(あぁ、涙なしには語れない;)
 もちろん、人間の体は機械じゃございませんし、いくら若いといっても体力には限界がございますので、実習も3日目になると、睡魔が全身を侵し始め、立っていても寝るようになります。人間、器用なもので、立っていてもなんとか寝れるものなのですね。膝をカックンカックンさせつつ、それでもけして倒れない根性――素晴らしいでございましょう?(別に、根性をつけるために大学に行っているわけではないのでしょうが;)
 そんな、睡魔に全身を侵され始めた、その頃のことでございました。突然、前回の実習地、外科の教授に呼び止められ、ワタクシの心が不穏な気配を捉えたのは。

教授「あ、君達、膵臓グループに居たよね」
 私「はい」
教授「急性重症膵炎の患者さん、診察したよね」
 私「はい……?」
教授「来週の下の学年の講義、膵炎なんだよね」
 私「はぁ」
教授「君達にやってもらうから」
 私「はい!?」
教授「よろしくね」

 教授、ワタクシ達は、既にあなたの科の実習を終了して他科の実習に突入しております。しかも、ものごっつ忙しい大変な実習になっているのでございますよ。ご存知ですか!? ――ご存知じゃないというか、そんなのきっとどうでもいいんですよね(涙)
 同じく膵臓グループだった友人Aと一度は断りを言いに行ったのですが「大丈夫、そっち(内科)の先生には話しといてあげるから」と一蹴され、学生に非力さに涙。しかも、たしかに内科の教授にはお話を通してくださったようですが、私たちが日常教えを請うのはその下についている先生方――しかも、数名のものごっつい嫌味の先生の集団なわけですから、そちらに話してくださらないと、意味がないのでございます。嫌味はワタクシではなく外科の先生に言ってくださいませよ、そうすれば、授業をやらなくてもいいようになるかもしれないから(涙)<まぁ、無理なんですけど;
 実際の実習が終了した後、外科に通って症例をまとめ、画像をさらに理解し、壇上で説明する画像を選び出す作業は連日連夜、それはもう、アナタ寝る時間なんてありはしません。実質ダブルの実習であるわけですから! 哀れに思った外科の先生は酒を飲みに行こうかと誘ってくださいましたが、先生、アタシお酒飲む時間、寝ていたいです!<酒呑みの台詞とは思えませんね;

 さて、内科の実習ではかなり外来実習を行います。何故かというと、外科は手術が花なんですが、内科は外来で診察するのが勉強になるからです。いや、もちろん、病棟で治療するのも勉強になりますけれどね、内科というのは診察が重要なのです。そして、もう一つ、学生に外来実習を行わせる理由があります。
 内科の外来はドクターの数が多く、患者さんの数も多く、その多くが尿検査をなさいますから、単純に尿検査をする人手がないのです(笑)
 そんなわけで、延々と、外来の片隅で尿検査を行います。尿検査の部屋は、両方に男性用トイレと女性用トイレから直に検査コップを提出できる窓があって、そこに提出されたコップの中身を検査します。朝はたくさん並んでいますが、そのうちに検査の回転のほうが早くなり、ほやほや温かい尿コップを握り締めて、さりげなく白衣に生理的な匂いを染み付かせつつ、検査を行うことになるのです。
 ワタクシも最初の時は真面目に検査しておりましたが、さすがに連日連夜のダブル実習で力尽き、目の前がブラックアウト状況になりました。

  私「ね、すんごく悪いんだけど、寝てもいい?」
友人B「あ、ええよ。外科もやっとるんだろ?」
  私「借りは返すから」
友人B「ええて。ビール一杯でまけといちゃる」
  私「ありがとう。さよなら」

 ワタクシ、寝ました。その検尿コップの横に突っ伏して。それはもう恥も外聞もなく、生理的な匂いすら気にすることなく。
 そのとき見た夢は、おしっこ水鉄砲を打ちまくるチビ教授から逃げ回るという、現在の状況を混在させた微妙な悪夢でございました。

夜明けの謎 第2週

 さて、幸か不幸かダブル実習を行う羽目になったワタクシと友人Aは、それはもう、これ以上ないくらいに戦っておりました。――傍から眺めていた友人Bに言わせると「なんかね、ゆで卵を殻のまま齧りそうな感じ」だったそうでございます。実習が忙しくなると、ご飯より睡眠、風呂より睡眠、化粧より睡眠――という選択を強いられることになるので、おそらく、あの時期のワタクシは女であることを放棄していたことでしょう。
 それでもワタクシは耐えました。下級生の前でシャーカッセンの前に立ち腹の輪切り(のCT)を指差して、腹水がどーの、吸収がどーの、重症度判定がどーのと怒涛のごとくしゃべり倒し、オプショナル実習を終了させると、次がようやく本来の実習でございます。

 実は、この内科はちょっと性格的に難のあるDr.Aがいらっしゃる科でございまして――もちろん、ワタクシ達への嫌味の応酬もその先生がなされていたことだったのでございますが――とにかく学生一同、暇さえあれば物陰でプルタブにDr.Aの名前と顔を書き、これでもか、これでもかと散々糸結びで首を絞めまくったものでございました。
 なにしろ、女子学生の居るグループ唯一の武器、女子学生必殺「あのぉ、分からないところがあるんですけどぉ」攻撃が効かないのです。(多くのドクターは男性ですから、小首をかしげて困ったような顔をしていると、大抵のことは教えてもらえるのです。この武器を最大限に利用してスムーズな実習を行うのが、技の見せ所だと申せましょう)
 ところがある日、Dr.Aの攻略法が発覚したのでございます。その日、友人Cと友人Dは実習時間に思いっきり遅刻をしておりました。Dr.Aは友人Cには何かと甘いことが多く、女の子である友人Dには厳しいことが多かったのでございます。

友人D「スミマセン。車をぶつけちゃって、遅れちゃいました」
Dr.A「車をぶつけたぁ?」
友人D「はい。スミマセン」
Dr.A「車をぶつけたくらいで、遅刻するんじゃないよ。どうせ注意もなにもしてなかったんでしょう? そんなんだから馬鹿なんだよ」
友人D「……(顔は笑っていたが、心は泣いていたらしい)」

 ――先生、それはあんまりだって; 頭良くても、車をぶつけるときはぶつけるって; 関係ないって;

友人C「スミマセン。あの、レポートが終わらなくて――ね、寝坊しちゃって」
Dr.A「……。まぁ、仕方がないか……」

 ――先生、態度違いすぎるって;
 そして、ひとしきり嫌味を聞いた後、ふと、なぜか話題が出身校の話になったのでございます。

Dr.A「出身どこ?」
友人C「○○高校です」
Dr.A「え? ってことは後輩?」

 その後のDr.Aの態度は、すばらしいものでした。実習時間はいつになく早く切り上げられ、楽しく故郷談議に花を咲かせ、友人Cの肩を抱き、笑顔を振りまく――それはもう、同じ人間だとは思えないくらいに。
 友人Cよ、今後一切、Dr.Aに関しては君に任せた! グループ全員が勝ちを確信した瞬間でございました。
 後日、友人Cが語ったことには、「あの人、ぜってぇホモだって。だって肩抱くしさ、さりげなく胸触るしさ、ケツも触られたもん(涙)」 ――ありがとう、友人C、君の犠牲は忘れないよ……。

 実習も佳境に入ってくると、はっきり言って家に帰る時間が惜しくなります。特に、最後の口頭試問の前日など、寝る時間さえなくなるのです。もちろん、学校には宿泊施設はありません。そういう時は、椅子を3つ並べ、真ん中の椅子にお尻を乗せ、一番上の椅子に頭を乗せ、足元の椅子に足を乗せて寝るのです。
 もちろん、実習グループは男女混合ですが、なにせ入学後の人生の中で、生理学実習でお互いの尿を見て、法医学実習でお互いの精液と月経血を眺め、鼻の穴の中も耳の穴の中も口の奥も、心臓の音も腹の超音波も見せ合った仲でございますから、一つ部屋の中で口を開けて雑魚寝をしても、ちっとも心ときめかないのでございます。奴らはワタクシの中で男ではありませんし、奴らの中でもワタクシは女ではないのでごさいます。
 翌日に試問を控え、私たちは椅子で雑魚寝をしていました。夜中の4時まで勉強し、一時間の仮眠をしていたときでございます。隣で寝ていた友人Eは寝返りをうとうとして、ものすごい音を立てて椅子から落ちました。目を覚ました私が見たものは、窓から見える美しい夜明けの空と、倒れて鼻血を流しながらも、なお眠り続けている友人Eの勇姿でございました。

 その日、試問を終えた私たちは、とりあえず家に帰って3時間ほど仮眠をとり、その後集まって夜が明けるまで飲み明かしたのでございます。その夜明けもまた、美しいものでございました。