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 医学生の謎
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これはある医学生の赤裸々な回顧録である――と思いマス。
 

24時間の謎

 一日は24時間でございます。もう少しあった方がいいなぁと思っている方も、そのままでもいいからどこでもドアが欲しい方も、既に24時間という枠組みから逃れて生きていらっしゃる方もいらっしゃるでしょうが、一日がきっかり24時間なのが、実習期間でございます。(もちろん、それ以前の学生生活では、24時間の枠組みなど、あってなきが如しであるのは、どの学部でも同じことでございましょう)
 24時間の中には、当然睡眠時間が含まれております。今まで、一部の当直実習などの時には睡眠時間も実習時間でしたが、そこは「当直」の実習でございましたから、翌日にはそれ相応の休息が与えられておりましたし、多少ぼんやりしていても許されるばかりか、「学生さん大変だねぇ」なんて、優しい言葉までかけられていたのでございます。
 しかし、その実習は眉間に皺を寄せた先生の、魔の一言で始まったのでございました。
 曰く、「この実習は24時間の実習だから」
 泣く子も黙る、それが脳外科の実習なのでございます。

 脳外科の実習は厳しいことで知られておりました。「脳」という、緊急事態には非常に大変な事態になる器官を主に扱っている科ですから、それは当然のことでありましょうが、手術・レポート・病棟での学習状態とチェック項目は多数あり、しかも厳しく、失態を犯すと実習成績に直結するという恐怖の科でございます。運の悪い学生だと、昼ご飯やちょっと長めのトイレに行っていただけなのに、悪印象をもたれてしまうことすらあるのです。
 この激しい戦いをいかにして戦い抜くか――ワタクシたち非力な学生がまず最初に行ったのは、学習分野の専門受け持ち担当を決めること、そして、今後の戦いのプランを練ることでございました。
 学生の病棟控え室に必ず一人は常に待機すること、各人は連絡のつく場所に居ること、仮に居ない人に何か質問されたら、慌てず騒がす「図書館に症例についての調べものをしに行っています。もうじき帰ってくると思うんですが……」とお茶を濁し、間違っても「さぁ」などと,先生の神経を逆なでするような返答は避けること、最初は敵陣を伺うために、全員で待機すること。
 全員、分厚い教科書を手にし、一様に学生控え室に詰めます。間隔をおいて「先生、ちょっと質問が……」などという小さな波状攻撃を仕掛けながら、じっと息をひそめて篭城するのです。戦いは初日が大切です。ここで「今回の学生は真面目」だと思ってもらえると、次からの「図書館で調べ物」術の成功率が上がるのです。
 担当の患者さんに問診に行く場合も、全員同時に行くことは避け、必ず一人が控え室で待機し、残りが問診とカルテの閲覧に出かけるという手の込みようで、ワタクシたちの作戦は進行しておりました。もちろん、昼ご飯の時間もずらし、トイレの連れションもいたしません。
 そして、その日の午後、もうじき夕回診が始まろうかという時間でございました。

Dr.「おや、何をしているのかな」
 私「あ、担当患者さんの疾患の画像について、勉強しています……」
Dr.「他の学生さんは?」
 私「担当患者さんのご家族がお見えになっているそうなので、発症当時のお話を伺いに行っていると思いますが……」
Dr.「あぁ、そうなんだ。真面目にやってるねぇ」
 私「あ、いえ……(ここで、ちょっと困ったように照れて見せるのが実はポイントである)」
Dr.「がんばってね」

 みんな! 喜んでくれ! 第一の砦は陥落したぞ。
 しかし、戦いはまだ始まったばかりなのでございます。

 (PC崩壊のため、今週の分量は少なめでございますが、ご了承ください――T-T)

24時間の謎 第2週

 さて、質問波状攻撃とお真面目小僧振りでなんとか第一の砦を陥落させたワタクシども、学生でございますが、これから先が真の戦いでございます。

 一。 学生のヒエラルキーは最下層と心得るべし。
    病室内で最も知識がなく、もっとも使えないのは学生でございますから、常にドクターと看護婦さんを崇めなければなりません。これを忘れた他グループの友人Aは、看護婦さんから敵視され、恐ろしい事態になりました;
 一。 挨拶は基本と心得るべし。
    最初に出会ったときは声に出して、それ以降は会釈を欠かさないこと。特に目が悪い学生は注意が必要である。
 一。 病棟回診の時は、とにかく動くべし。
    患者さんによっては左右両方から診察させていただき、手を触れ・足を曲げ、その肌の手触りまでをも診察する必要があります。とにかく、足で動くのでございます。
 一。 質問には2秒以内に声を発するべし。
    答えがわからなくても、「あ〜」とか「う〜」とか、とりあえず質問を受け付けたということが分かる反応をしなくてはなりません。
 一。 答えは単純明快であるべし。
    疾患名を尋ねられたのなら疾患名だけを、病態を尋ねられたのなら病態を答え、分からない場合は下手に答えを濁さず「分かりません」と素直に認める。
 一。 すすめられた酒は呑むべし。
    外科系は大抵、体育会系のノリをもっているもの。すすめられた酒は呑み、マイクを回されたら歌い、腰に手を回されたら実害のない程度までは笑って済ませるのが、学生の心意気でございます。――実害が生まれそうになったら? 微笑を浮かべつつ酒を注ぎ、酔い潰すのです。でも、その前に誰かが助けてくれます。

 さて、初めての夕回診でございます。
 科によっては学生は免除だったり、朝回診だけだったり、夕方は担当医だけの回診だったりとまちまちでしたが、脳外科の場合、急変してしまった場合、重大な事態に陥ることもあるためか、講師以下のドクターが集まって回診することが日課でした。まず、カルテ等の資料をナースステーションで見て、必要なら画像を全員で吟味し、その後病室へと繰り出すわけです。
 学生は、初日の夕回診までに問診を済ませ、画像を把握し、カルテに目を通しておくこと――というのが暗黙の了解でございましたから、当然、画像などを見ながら質問もされてしまいます。といっても、一応は教育の場でございますから、最初からものすごーく難しい質問をされるのではなく、最初は脳の構造の名称などを答えさせられ、あとは担当患者さんの疾患の基礎的知識などを質問されます。そして、それが日に日に高度になっていくわけです;
 同じ回診グループの友人Bの方が先に質問タイムが始まりました。カシャリとCTの画像がかけられて、友人Bがその前に引きずり出されます。質問者は、学生に厳しいと評判の先生。危うし、友人B!

 Dr.「ここ(CTの輪切り画像の、ちょうど真ん中付近)、白いけど、何?」
友人B「……ええぇぇっと……」
  私「(小声で)ショウカタイ ショウカタイ ショウカタイ……」
友人B「ショ……ショウカ…タイ?」
 Dr.「なんで白いの?」
友人B「……あ…ぇと」
  私「(小声で)石灰化 石灰化 石灰化……」
友人B「……石灰化!」
 Dr.「……ふん。ま、いいでしょう」

 次は私の番でございます。質問者は学生に甘いと評判の色男、ドクターハニー(と、ワタクシたちは呼んでいた。だって、優しかったから)

ハニー「(同じくCTを差し出して)この、中央にある大きな豆形の黒いのはなに?」
  私「………脳室…」
ハニー「はい、いいでしょう」

 ドクターハニー、それはあまりにも簡単すぎます。せめて側脳室の前角か体部か三角部なのか(側脳室は大きいので、場所によって呼び名がついておりまする)くらいは訊いてください(涙) ワタクシ、そんなに期待されておりませんでしょうか(T-T)

 そんなこんなで、その後、病室を巡回し、やっと終わったとほっとしたのも僅かの間、にっこりと笑ったドクターから手招きをされます。

 Dr.「学生さん手を出して」
友人B「はい(おそるおそる手を出す)」
 Dr.「この科は『24時間の実習だから』ね」
友人B「……ポ。ポケベル;」

 そう、この科は24時間の実習。
 寝ている間も事起これば病院に馳せ参じ、バタバタと手術着に着替え、見学するのが24時間の実習。夕方、救急車で運ばれてきた患者さんの手術が始れば、夕食なんて食べずに夜中まで見学するのが24時間の実習。遅刻しそうで朝ご飯が食べれず、外来見学が長引いて昼ご飯も食べれず、そのうえにようやく夕ご飯だと祈るような気持ちで居たとしても、手術が始まってしまえば夕ご飯なんか食べられるはずもない――それが24時間の実習(涙)
 唯一の救いは、ワタクシどもの実習期間が夏場であり、比較的、早朝の緊急手術の割合が少ない季節であったことでしょう。(冬場は寒いので、常日頃よりも若干、脳血管系の障害が多かったりするのです)

 おなかが減ったわ、ママン(涙)

 こうして、24時間の実習時間は過ぎていくのです。

24時間の謎 第3週

 ポケベルを渡されての実習にも慣れ、いくらなんでも早朝の急患さんの手術については、さすがに学生には呼び出しをかけないというドクター達の親心にも気付いた頃、教授との口頭試問の準備に入ります。
 どんなものかと言うと、一言で言えば「患者さんの状態のプレゼンテーション」 発症からの経緯をまとめ、現在の状態や画像の説明、今後の診療方針などを発表するわけです。ドクターが日常やっていらっしゃるカンファレンスの、まぁ、真似事のような感じです。でも、なにか間違ったことを言えば減点されますし、質問に答えられないと怒られますし、態度がデカイと嫌われますから、細部に至るまで調べこみ、作りこみ、まとめこんでいかねばなりません。しかも、最後に必ず教授に対して疑問点をぶつけなければなりません。上手に質問しないと、「質問をしない→つまり、質問がないほど理解している→自分の試問時間がなくなるまで、とんでもなく難しい教授からの質問が次々と襲い掛かる」という悪魔の罠に落ちます;

 口頭試問における教授への質問でもっとも必要なもの――ワタクシの経験からまいりますと、それは愛嬌と度胸、運、そして観察力です。

 質問を受けた場合の教授たちの反応は、非常に大雑把に分けると2つのグループに分けられます。
 まずは「ぜんぜん分からないんですぅ」というような、お馬鹿ちゃん系質問学生が大好きで、「○○は××なんだよ、分かるかな。つまりね……」と時間オーバーになるほど熱弁を振るってくださるタイプ。こういう方の場合は、口頭試問は楽です。かなり早い段階で質問をぶつけると、プレゼンテーションが終わる前に時間切れになります。
 次に、「○○の結果××になるということは、その背景には△が関係しているということなんでしょうか」というような、知的系ちょっとは考えてます風学生が大好きで、途端に機嫌がよくなってしまうタイプ。こういう方は、機嫌をとるのは簡単ですが、質問の回答にたいして割く時間が少ないので、大量の質問を用意している必要があります。こういうタイプの方に「分からないんですぅ」なんてことを言うと、「頭は考えるためについているのだ、うさぎ跳びで校庭10週行ってこい(嘘)」なんていうことになりかねませんので、注意が必要です。

 つまり、まず最初に先陣の友人の質問への教授の反応を見て、タイプを判断し、質問の構成を本番前に練り直す必要があります。タイプ判断が出来たら、次は、友人の様子と教授の機嫌を総合的に判断し、「テキパキハキハキ系」が好みなのか、「困った時に焦りまくる小動物系」に愛着をもっているのかを判定します。

 この科の場合は「知的系ちょっとは考えてます風学生」が好みで、「テキパキハキハキ系」の学生が好きな教授でしたから、発言ははっきりと大きな声で、多少早口にも聞こえるくらいの口調で、緊張の色をにじませた無表情ともいえる真面目な顔でプレゼンテーションすると、かなり快適な状態になります。――加えて、誉められた時に、わずかにはにかんで安心したような微笑を浮かべ、一瞬だけ教授の瞳を見つめてしまったりすると、もう完璧です。
 先陣を切った、愛嬌には定評のある友人Aは、質問に間違った答えを言ってしまった際に小動物化して自爆。次の友人Bは、「えーっと、えーっと」と10回繰り返してしまい玉砕。今度こそはと気合を入れて挑んだ友人Cは、画像を左右反対に掲示(ここの脳外科は手術の際に患者さんの頭側から脳を見るので、画像は通常とは逆にしてプレゼンテーションするのです)してしまい「プレゼンテーション以前」と一喝。内気な友人Dは、その一喝に怯えてしまって声が小さくなり、機嫌を損ねてしまい、続く友人Eは、なんと担当患者さんの病名をど忘れして「出て行け!」という怒号に頭の中が白紙化。アンカーの私にバトンが渡された時には、教授のこめかみには血管が浮き、眦は血走り、握り締めた拳は震え、ほとんど魑魅魍魎――。
 無理。いくら私が愛嬌と度胸で世間を渡ってきた人間だと言っても、これをなんとかするのは、絶対に無理;
 背中に感じるのは、屍と化した友人たちの「どうかお前だけでも生き延びてくれ」という無言のメッセージ――というよりも、なんとか最後の気分を良くして、実習の点数を上げてくれという悲願(涙)

 母上、父上、ワタクシに力をお与え下さい!

 大きく深呼吸し、画像をカシカシと手早く掲示すると(ワタクシは掲示する際の目印になるようにと、掲示した際の右隅になる部分に赤丸シールを貼っておいたのだ)一気にしゃべるしゃべるしゃべる。私を実際に知っている人は分かるだろうが、私は歩くマシンガン、しゃべり始めるととまらない女なのである。
 運良く、私の担当患者さんは経過が長く、本来はプレゼンテーションしないでおこうと考えていた細かな入院経過まで怒涛のようにしゃべると、ワタクシの持ち時間は残り2分を切っていた。
 教授は途中で質問を入れようとしたようだったが、なにせ目の前の女が、渾身の立て板に水でしゃべりまくっているので、口を挟む暇もない。一通りのプレゼンテーションが終わって、いざ教授の質問というときに、私は勝負をかけた。教授の質問より先に質問したのだ。

 私「あの、教授、どうしても質問したいことがあるのですが……」
教授「なんだね」
 私「疾患に直接関係ないことですが、よろしいでしょうか」
教授「脳外科的なことなら別にかまわんよ」
 私「脳外科の術後、胃壁の保護を目的とした薬剤が投与されているのは、術後に胃潰瘍が発症する場合があるからだと伺いましたが、それは、術中の様々な手術手技や麻酔などからの全身的なストレスによるものでしょうか?」

 こういう場合、病態を深く突っ込んでこられるような質問を招くような質問をせず、答えが未だ推測の域を出ない仮説がいくつかあるようなものについての質問をするのが正解である。
 事実、教授は仮説をいくつも紹介し、質問時間を軽くオーバーして、最初の頃の不機嫌さを忘れてしまった。教授になるような方は探究心が強く、熱弁を振るうとすっかり前のことを忘れてしまったりもするのだ。

 やはり戦いは先手必勝なのである。