お産の謎
実は、すっかり病院実習の順番を忘れてしまったので、仕方がないので、適当にランダムにやっていかせていただいまする。実習した季節を覚えているものもあるが、大抵は忘れ去っているので――本当に、かなりのいいかげんな順番でございます;
さて、病院にとっては産科と婦人科が分かれているところもあるのかもしれませんが、うちは同じ教室でございました。――と言っても、婦人科のほうが得意な先生もいたし、産科の方が得意な先生もいたので、分かれているわけではなく、「なんとなく婦人科の先生」な人と、「なんとなく産科の先生」な人が一緒にお仕事してる――って感じ?
学生は半分ずつに分かれて、半分の人は産科から、もう半分は婦人科から1週間ずつお勉強。私は産科から出発組み。ただ、お産はわんさわんさとあるわけではないので、婦人科を回っているメンバーも、時間が合えばお産を身にこなくてはいけない。そのためにはメンバー間で連絡をこまめにしておく必要があって、実習始りたてのメンバーにとっては、それはそれでいい機会。
最初に患者さんを紹介していただきます。この患者さんは、その1週間の実習のうちにお産がきそうな人が選ばれますから、もちろんお腹はパンパン。他の患者さんにも、元気に腹を蹴りまくっている様子を触らせていただいたりなんかして、なんとも幸せな気持ちでございます。幸せって、伝染するんですよね(^^)
通常、健康な妊婦さんは、陣痛が来たり破水したりした後に、本当に生むためだけにやってくるので、入院している妊婦さんというのは、どんなに元気そうに見えても一応ご病気(多くは妊娠中毒症の疑い)がある――ことになるんですが、基本的には赤ちゃんの事で幸せいっぱい、希望いっぱいなので、非常に明るいし、一緒にお話などしていてもとっても楽しい(^^)
私は妊娠中毒症の疑いがあり、血液型不適合(お母さんがRh-で赤ちゃんはRh+、前回のお産もそうだったので、お産後の処置もあって入院中)で、しかも双子! お腹はパンパン。でも、既にお産を経験した人だったので、少しだけ不安はあるようだったけれど、基本的には楽しそう。前回は帝王切開だったということで、今回は絶対に普通に生むの〜、と呼吸法などの復習にも余念がない感じ。
他のメンバーの担当患者さんも全員が妊娠中毒症疑いの患者さんだったけれど、どの方も軽い方ばかりで、なんだかルンルンな実習のスタート。
産科の実習では、できるだけ多くのお産をみて(少なくとも3回はみる)、患者さんのレポートを作成すればクリア。ただ、自然分娩を推奨する教室なので、昼間にお産があるわけではなく、1日ずつ学生当直をして、夜中のお産のときは他のメンバー(婦人科を回っているメンバーにも)に連絡しないといけないの; もちろん、暇だからと言って早く家に帰ったりなんかすると、お産が見れないことがあるので、暇でもぼんやりお産を待ったり、看護婦さんに様子を聞いたりしていなくてはならないのだ。
とりあえず、メンバーでまずやった事は、当直の日を決める事と、各々の連絡先を明確にする事と、昼間のお産待ち当番を決める事。特に連絡先は重要で、ラブラブな彼女がいる友人Aに至っては、自分の家に連絡して留守電だったらこっちに電話して――と、彼女の連絡先まで書いて万全の体制。(できることなら、電話したくないが/笑)
そして、それぞれの教育担当のドクターの所に行って、実習が始る。友人たちは外来担当のドクターの下で、外来の診察のお手伝い。私は病棟担当の先生の下についたので、一緒に病棟の患者さん全員の診察をお手伝い。
実際に子宮底(大きくなってきている子宮の一番天辺がどこにあるかを診察する)の位置を調べたり、ノンストレステスト(陣痛の具合とお腹の赤ちゃんの心拍数を記録するテスト、これであまり良くない結果だと、ちょっと赤ちゃんが心配)の結果を見たりする。もちろん、産後の方もいらっしゃるので、その診察もする。自分が女なためか、どの患者さんも必要以上に緊張なさらないので、とってもやり易かった。良かった、女で。
病棟回診で午前中がつぶれ、先生と一緒にお昼にレッツゴー。もちろん、ご馳走していただけちゃったりするのヨ(うふふ) こんな段階から卒業後の進路についてこっそりと探りを入れてくるあたり、これからの実習の人間関係の微妙さを物語ってしまったような気が(笑) ただ、幸せいっぱいの妊婦さんをコレデモカというくらい続けざまに見せられると、髪の毛の重さ程度もない私の信念なんてコロリと回転して、「産科、イイッスねぇ〜。赤ちゃんの誕生、最高ッスねぇ」という気分になってしまうのだ。(だって、本当にみんな幸せそうなんだもん)
だが、実は私には気になることがあったのだ。それは、病棟の一番端っこの個室、ドクターが「そこはいいから」と言って扉さえも触らせてもらえないお部屋のこと。なんだか、その――すすり泣きが聞こえる(ような気がする)のだ。
私「先生、あのお部屋、気になるんですが……」
Dr.「あぁ(ちょっと考え込んで)――話しておかないとダメだよなぁ」
私「……(いったい、どんなわけが!?)」
Dr.「他の人にも言っておいて欲しいんだけど、あの部屋にいる患者さんはちょっと問題があって、とてもデリケートな状態なんだ」
私「……(なるほど、腫れ物には触るなということか?)」
Dr.「明後日くらいに計画分娩を進めているから、そうだな、午後の実習の時に詳しく話すね」
私「――(そこまで話しておいて、引っ張るんかい/怒)」
それはとても、悲しいオハナシだったのだ。
お産の謎 第2週
――あのね、もう、赤ちゃん死んじゃってるんだ……。
唐突に始ったお話に、カルテ内容をまとめてレポートの下地を作っていた私は一瞬なんの事か分からなくなりました。ご飯を食べ終わり、20分程度の休憩を頂き、午後からお手すきの間を狙ってレポートの要点を教えていただいている最中のことでございました。
私「……あか…ちゃん?」
Dr.「あぁ、あのお部屋の患者さんの赤ちゃん」
誰も手を触れない扉の向こうの、すすり泣きのお部屋。
お腹の中の赤ちゃんは、もう、28週近くで、ずっと順調に育っていたのに、不意に動かなくなって、行きつけの産科に行ったら、赤ちゃんの心臓がもう動いていないことが分かったんだそうでした。そして、その産科の病院のすすめで、お腹の赤ちゃんの死因を調べるため、大学病院に紹介されたんだそうです。――次に子供が出来た時のためにも。次に生む時には万全の体制をとれるように。
Dr.「あの患者さんの気持ちが落ち着いたら、できるだけ早く赤ちゃんを出すから。予定では明後日だけど、明日になる可能性もあるから、メンバーにも伝えておいてね」
なんだか、心が沈んだまま、ナースステーションでゴソゴソとカルテをまとめていると、友人A到来。かなりお疲れのご様子。
友人A「外来、きつぅ。ガンガン診察しても終わんねぇ(涙)」
彼は常に外来に出る先生についたために、これから一週間、常に午前中(と言っても、大抵延びて午後2時近くになることもある)は外来だ。隣でゴソゴソとカルテを写している友人Aにドクターから聞いた話を伝えると、意外なほど彼の顔が歪んだ。
友人A「それ――何て言っていいのか分かんねぇけど、きっついなぁ」
友人A、いい奴である。たとえ、産科の外来の時ににやけた顔を押し殺していても。
そう、大抵の方は、特に多くの男性の方は、産科や婦人科の診察と聞くと助平な想像をなさる方がいるようだが、実際、体験してみると、そうでもない。多くの場合、目に入るのは局部とカルテのなので、ベテランになると、局部を見ただけで患者さんの名前がわかってしまう人もいるらしい。しかし、普通に服を着て立っている患者さんをみても分からない事は多い。――女性の全身を眺めていないということはつまり、対象に女性性を感じていないということでもあるのだ。
しかも、毎日見ていると、見飽きるのだ。私も若かりし頃は、露出狂のおじさんにうげぇと思っていたが、最近では何とも思わない。私には、ファミリーレストランで友人と勉強していていた時に、男性生殖器の精密な図解が載っているページをどうどうと広げて勉強してしまい、ウェイトレスの美人のオネーサンを凍りつかせた前科がある。……――閑話休題。
仲良くカルテを写していると、親切そうな看護婦さん(産科の看護婦さんは、皆、総じて優しそうで楽しそうだった。やっぱり妊婦さんの幸せパワーは偉大である)に、今日のお産状況を聞いてみると、本日のお産はなさそうとのこと。ただ、駆け込み(陣痛をお越してからやってくる妊婦さん)があるので、油断は出来ない。
看護婦「今は生まれる数が少ない時期だから、待っているのが大変ね」
私「時期って、そういうのがあるんですか? でも、新学期はじまってすぐだから、多くていいような気がするんですが」
(日本は4月に新学期なので、できるだけ学校で苦労しなくて済むように新学期にあわせて妊娠するお母さんもいるのだ。特に小学校の時は4月生まれと3月生まれでは体の大きさが違う事もあるので。もちろん、逆の考えの人もいる)
看護婦「あぁ、そういうことじゃなくてね。満月までまだ間があるから」
私「満月?」
看護婦「満月の日はねぇ、多いのよ。ガンガン来るのよ」
私「本当ですか!?」
看護婦「私の経験上はね」
さすが、満月! 月の引力か!? 実際、満月時期に実習したグループに後で聞いてみると、ガンガンお産を見たようである。
結局その日はお産はなく。途中でふらりと現れた部活の先輩で現在大学院生のドクターに、明日の空いている時間にでも、やっている研究(体外受精に関すること)を見せていただく算段を取り付けて、帰宅。
私が最初の、印象的で、もう二度とけして忘れないだろうお産を見るのは、次の日のこととなった。
お産の謎 第3週
――すぐ来い! ダッシュだ!
と、友人Aが持っていたPHSからお産監視係の友人Bの怒鳴り声のような声が聞こえたのは、お昼ご飯を終えて、学生の溜まり場で他のグループと情報交換している時のことでございました。
実習を始めて2日目、初めてのお産の見学です。(見学の仕方は前もって習得済み。――と言っても、靴と白衣を分娩室専用のものと着替えるだけである。妊婦さんの精神的なことを考えて、学生は目につかない位置から黙って見る事しか出来ない)
文字通りダッシュし、階段を駆け上がって分娩室に入ると、もう、妊婦さんは台の上に上がっていました。――が、なんだか様子が違う。ドクターの顔も心なしか強張っているのです。
私「……?(連絡をくれた友人Bを見る)」
友人B「無痛分娩にするんだって」
友人A「……?(どうして? と目で訊いてみる)」
友人B「例の人だから」
その時、病棟担当のドクター、特に私を監督してくださっているドクターが私を見つけて、こっそりと物陰に手招きされた。
Dr.「死産なのに痛みがあるのは悲しいので、無痛分娩にします。普通のお産じゃないので、患者さんを刺激しないように気をつけて見学していてね」
患者さんは、静かでした。もちろん、顔色はあまり良いとはいえず、全身から悲壮感が漂っていましたが、それでも、不思議なくらい静かでした。点滴のラインがとられて、すぐにお産が始まりましたが、だれも、何もしゃべりませんでした。私達は、ただ、全身を強張らせて、声を出さないように、音を立てないように、石のようになってお産を見ていました。
ゆっくりと、赤ちゃんは娩出されました。全身が蒼ざめていて、ピクリとも動かず、何の音もしませんでした。顔の形も、体も手も、ちゃんと全部、赤ちゃんの姿なのに。
赤ちゃんが娩出された途端に、患者さんは泣き始めました。きっと、分娩を待つ間ずっと、赤ちゃんは死んだのだと自分に言いきかせていたに違いないのです。何度も自分に、次の赤ちゃんのためなのだと、言いつづけて悲しい分娩に臨んだに違いないのです。それでも、産声を上げてくれない赤ちゃんに、何の音もない出産にあらためて赤ちゃんが死んだことを思い知らされたに違いないのです。
それは、決定的な死でした。完全な死を見たような気がしました。
隣で友人Aが目を伏せ、俯きました。解剖実習で黙祷を捧げていた時と、同じ横顔でした。
すぐにドクターは赤ちゃんを隣の部屋に移し、全身の観察を始め、私達もそちらに呼ばれました。分娩室では、別のドクターと看護婦さんが、残る胎盤を出すために残り、泣きつづける患者さんに、何度も「もうすぐ終わるからね」と繰り返していました。
実は、別室に呼ばれて、私たちは少し、ほっとしたのです。私達はただ置物のようにその場で固まり、何を患者さんにしてあげられるわけでもなく、ただ見ている事しか出来なかったので。
Dr.「こういうお産はあまりないので、忘れないようにしていてくださいね」
コクコクと、おもちゃのように頷きながら、なんだか私達は言葉を忘れたように黙っていました。そのうちに胎盤が運び込まれ、ドクターたちはそれらの観察に忙しくなり、私達は分娩室を追い出され、他のお産を待つ気にもなれず、学生用の溜まり場に座り込み、しんみりと缶コーヒーをすすりました。
友人A「ヘビーだ」
友人B「……」
一同「……(溜息)」
一学年下の学生たちが、ワイワイと騒ぎながら教室に入っていくその喧騒が違う次元の音のようで、なんだか初めて、自分たちが容易ならざる世界に足を突っ込んでいるのだと、あらためて思い知らされたのです。
外は明るい初夏の陽気なのに、私達の心は沈みきっておりました。
友人B「ファイトっしょ」
一同「おう……」
こうしてグループの連帯感は生まれていくのです。
お産の謎 第4週
人間、悲しい時は声も出ないんだということが分かってしまった実習2日目が終り、とうとう学生当直もある3日目に突入。洗面用具なども揃えて病院入りした私の目の前にあったのは、なんだかガランとしたナースステーション。ハテナと首を傾げる間もなく、奥の分娩室からなにやらバタバタとした足音。
――これは、まさしく、お産!
とりあえず荷物を邪魔にならない場所に置いて、分娩室にダッシュ。
滑り込んだ先には、既に「ヒッヒッフー」の呼吸法になっている妊婦さんと、とりあげるために待ち構えている助産婦さんの姿がありました。ナースステーションでは穏やかで優しい笑顔の看護婦さん(助産婦さんの資格も持っている看護婦さんなのだ)なのに、いざ取り上げるとなると、掛け声といい気合の入った構えといい、見事です。
お産は3期に分かれていまして、第一期が開口期(子宮口が開く時期/これも準備期・進行期・極期の3期に分かれとります)・第二期が娩出期(赤ちゃんが出てくる時期/排臨:赤ちゃんの頭が見え始めること・発露:赤ちゃんの頭が常に見えるようになること・赤ちゃん誕生の3段階)・第三期が後産(胎盤が娩出される時期)といいます。お産の進行に合わせて、呼吸の様子を変えたり、いきんだり、いきむのを止めたりしなくてはならないんですが、その妊婦さんは一番苦しいといわれる第一期の極期に突入していたので、もう、その場にいる全員が「ヒッヒッフー」の状態。
苦しいのか妊婦さんの腕が宙を掻き、危うく医療用具を振り落としそうになります。
助産婦「そこのアナタ! 手を掴んで!」
私「えぇ?」
助産婦「早く!」
私「ハイ!(とりあえず駆け寄って、妊婦さんの頭の方から宙を掻く手を掴む)」
助産婦「掛け声!」
私「えぇ!?」
助産婦「ホラ! ヒッヒッフー ヒッヒッフー」
私「ヒッヒッフー ヒッヒッフー」
助産婦「赤ちゃんの頭、見えてきたわよ。いきんで! いきんで! いきんで!」
私「……!(ものすごい力で手を握られているので、声が出ない)」
助産婦「いきめー! いきめー!」
違う。絶対違う。いつもナースステーションでホンワリした笑顔を浮かべていた看護婦さんとは絶対別人。同じ顔だけど別人としか思えない;
この妊婦さんは、もう2人のお子さんがいるベテラン(?)の妊婦さんだったので、助産婦さんの指示に従って、スムーズな呼吸の移行を見せてくれます。(いきむ時期でも、子宮の収縮に合わせていきまなくちゃダメなのね)
いきむこと5分、赤ちゃんの頭が常に出る状態になり、いきむ時期が終了。赤ちゃんが本格的に産道を降りてくる時期にいきむと、産道を傷つけてしまうので、ここから先は力を入れないように短い「ハッハッハ」という呼吸に変えなくちゃダメなんです。
助産婦さんに目で合図されて、私の役目は終了。おとなしく元の位置に戻ると、いつの間に来たのか他のメンバーが勢ぞろい。
友人A「お疲れ」
私「おう」
視線の先では、助産婦さん、足を肩幅に開き、腰を落とし、いつでも来いという構え。なんだかカッコいいです(T-T)
助産婦「よし!」
赤ちゃんの頭が出た状態で、掛け声とともに魔法のようにスルスルと助産婦さんの手が動いて赤ちゃん誕生! 数秒遅れて見事な産声。臍の緒を糸で縛って、ふにゃふにゃ泣いている赤ちゃんの顔をお母さんに見せると、「ヒッヒッフー」の時の形相が嘘のような満面の笑み。
本当に赤ちゃん生まれちゃったよ。(いや、産科なんだから当たり前なんだが;)
後産の胎盤の娩出までしっかりと見学させていただいて、とりあえず分娩室を出る(胎盤が出てしまう頃になると、分娩台の上の元妊婦さんの中には学生の存在を気にし始める方もいるので、早々に退出することが多かった)と、一目散に学生の溜まり場まで行き、ほとんど同時に全員で「スッゲー!」「マジ感動」←教養のなさが染み出ている感じの感想だが、人間、本当に気分が高まっている時に格調高い言葉なんか出てこないものだ。
2回目のお産は助産婦さんがとりあげる正常分娩でございました。
とりあえずメンバー全員、缶コーヒーで名前もまだ付いていない男の子(そう、男の子だったのさ)の誕生を祝って乾杯すると、それぞれのドクターの元に散ります。この時点で既にドクターのそれぞれのお仕事は始ってしまっているんですが、分娩見学が最優先なので、「スミマセン、お産だったんで」と言えばぜんぜんOKです。(これを悪用して多用した友人Bは、すっかりバレバレで、弱みを握られてしまい、馬車馬のように働かされました。自業自得;)
病棟に再び戻った私を待ち受けていたのは「担当患者さん、お産はじまるみたい」という、すっかり元の穏やかで優しい笑顔に戻った助産婦さんの一言でございました。
そして、私と担当患者さんの長い長い一日がはじまったのでございます。
お産の謎 第5週
「担当患者さん、お産はじまるみたい」――という言葉に、慌てて病室に飛んでいくと、そこには額に脂汗を滲ませて横になっている患者さんの姿が。既にお産を終えている同室の患者さんはしきりに「大丈夫よ、いよいよね」と励まし、まだお産の前の同室の患者さんは「頑張ってね」とエールを送っている状況。(あぁ、なんだか麗しい/涙)
駆け込んできた私を見ると、患者さんが何かいいたげに顔を振っておられます。
私「どうしたの? きつい? 痛い?」
患者さん「……あ、暑い…;」
私「ちょっと待ってて、何か見つけてくる!」
まだ初夏になるかならないかという時期だけれど、燦々と太陽が降り注いでいると、かなり暑くなる日があるのが実際にところ。5月に入れば半袖の人も出てくるような地域。まして、痛みと緊張とで汗ダラダラの彼女が暑くないはずがないのです。ナースステーションにはそんな時のためにウチワが常備されております。
ウチワを2本手に入れると、再び病室にいって、唸っている彼女に風を送ります。
私「少しは涼しい?」
患者さん「――ような気がする」
そのうちに、主治医の先生がきて、カーテンを閉めて内診。まだまだ本格的なお産の始まりまでは時間がかかりそうだということで、とりあえずは病室で待機、もう少し子宮口が開いたら陣痛室に行くことになりました。
主治医「んと、じゃぁ、彼女についててあげてね。何かあったら呼んでくれればいいから」
私「はい。――具体的には何をしていればいいんですか?」
主治医「んー; 今日は暑いから扇いであげて、あとはまぁ、適当に」
私「……」
そして、唸り続ける彼女をウチワで扇ぐこと2時間。途中、診察を受けながら、ただひたすら扇ぎつづけます。痛みの波が来ていない時にはそれなりにお話ができるんですが、痛みの波が来ると、ただひたすら声をかけながら扇ぐことしかできません。彼女自身、暑さと痛さで次第に体力を消耗してきている様子。――そして、ようやくお昼の時間になって、陣痛室に移る事に。
彼女の体をドクターと看護婦さんが左右で支えて、私は彼女の荷物持ち。陣痛室に入ってからも、延々、やれることは扇ぐこと程度。それでも、病室よりは部屋全体が広くて一人なので、気持ちは落ち着く様子。予想よりも子宮口の開くスピードが遅くて、ドクターもお仕事の合間合間にきて診察していかれますが、分娩台までの道筋は遠いのでした。お腹の赤ちゃんの様子はまだまだ元気な様子なので、いろいろと気が紛れる事を話しながらただただ彼女を扇ぎつづけて更に3時間。ようやくそろそろ分娩台に移る事に。
すぐに他のメンバーに連絡して、分娩室に。
しかし、それからが早かった。(経産婦さんだったので、お産の流れ自体はスムーズ。初産婦さんの場合は、全てに費やされる時間が経産婦さんの2倍から3倍程度が普通)
台にあがり、全ての道具が準備され、ドクターがスタンバイした時には、既にもうお腹の子供は出る気マンマン。5分もしないうちに、ポンポンと(双子だったから)出て来て、5時間扇ぎつづけた私の感慨も押し寄せないうちにお産終了。
というわけで、2度目のお産は、双子の正常分娩でした。
胎盤の後産まで見学して、胎盤の性状を観察(双子でも、胎盤は一つのときがあるのだ)して、レポートに必要な情報をメモ。病室に戻っている患者さんにおめでとうコールをして、さて、食べ損ねたお昼を(もうすっかり夕方だけど)食べようかと思った直後、看護婦さんがにっこり微笑みながら――
看護婦「あ、学生さん。駆け込みのお産があるみたいよ。もう、到着されるみたい」
私「――お産……;」
Dr.「すぐ分娩室だと思うから、先に着替えて入ってて」
心の中でカムバックマイランチと叫びつつ、今きた道を戻る私。たったいま着た白衣を着替え、上履きを替え、分娩室に入り、他のメンバーとじっと待ちつづける。
その日3度目になる分娩も、普通の正常分娩でした。
ようやくご飯。ようやく、本日最初のご飯。(当時、私は朝ご飯を食べない習慣の人だった)そう心で念じながら、くらくらしつつ分娩室を出た、その時。
看護婦「あ、学生さん。これから緊急の帝王切開があるみたいだから、手術室に行っておくようにって、伝言を頼まれたんだけれど」
心の中でドナドナを歌いながら、手術室に行き、手術を見学。
終了したのはもう夜。病院の食堂はすっかり終了。病院の売店もすっかり終了。近くのコンビニに行きたくても、私は今日、当直の当番。
友人A「あのさ、なんか買ってきてやろうか?」
私「いいの? 頼んでいいの?(涙)」
友人A「適当に買ってくるから、待ってな」
ドキドキしながら待っていると、コンビニ袋を下げた友人Aが「ごめん、俺の好みで買っちゃった。でも、明日の朝はきっと俺に感謝するよ」
――激辛のお弁当に、激辛のカップラーメンに、激辛のおかし……。空きっ腹に流れ込んでくるだろう激辛の刺激に血の気が引く思いをしながら、とりあえずお礼を言って当直室に。
当直室の扉を開くと、そこには。
微妙な香りの空気、微妙に不気味なナイスバディのおねーちゃんのカレンダー、そして、微妙に湿っている、そこに横になると皮膚病が移ってしまうような恐怖感にかられる、いったい何年干してもらってないの?と聞きたくなる布団。――これは寝れない。絶対寝れないって。
友人Aの激辛シリーズは、つい睡魔に負けてその布団に横にならないための最大にして最強の武器でした。ありがとう友人A。私の長い一日は、一睡もせず終わっていくのでした。