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 医学生の謎
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これはある医学生の赤裸々な回顧録である――と思いマス。
 

奇妙な謎

 「病院の怪談」なんてありがちですが、私の通っていた大学はできて十数年という、ピチピチの病院でしたから、これといって陰惨な話もありませんでしたし、奇妙な話もありませんでした。本当に怖い場所に行きたいなら、古戦場跡とか城址とかには事欠きませんでしたし、絶対にそちらのほうが怖いと断言できます。――が、しかし、時々は奇妙なことだって起きるのでございます。
 ここでは、夏本番に向けて、私が体験した奇妙な謎をお届けいたしましょう。

 確か、3年次生の終わりに、私は病理学教室に3週間の予定で通っておりまして、プレパラートの標本だとか、保管してある臓器の観察だとか、そういうことをやっておりました。その実習の大まかな流れは、病理解剖(死因などを知りたい場合に、ご家族の了承のうえで臓器などを摘出し、観察する)の助手を務めて、防腐剤で固定した臓器の写真を撮り、顕微鏡で見て観察したい部分の切り出しを手伝い、その切片を顕微鏡で観察して死因を特定、最終的には臨床医とのカンファレンスに出席して結果をスライドを用いて発表するというものでございます。その他に、だいたい午前中は病院内の病理室で、手術の際に摘出された臓器の迅速診断(手術中に急いで病変部位を調べて、悪性かどうかの判断をする。その結果を見て切除範囲が変わったり、手術そのものが変わったりする)のお手伝いとか、病理診断なんかをやっておりました。――はっきり言って、恐ろしく忙しくて、ほぼ毎日、夜中過ぎまで臓器を相手に色々やっていたときのことでございます。

 私は一人の患者さんのカンファレンスをまかされていました。そのために私は連日顕微鏡を見ていましたし、臓器の写真を撮ったりしていました。もちろん、他の学習もたくさんありましたから、たいてい夜中にやっていたのでございます。
 そろそろカンファレンスの準備も大詰めという時期に、急に病理解剖が入りました。夕方からの予定でしたが、他に人手がいなかったので、病理の教師と私の二人だけで(それまでは病理医と病理の技師さんの二人がメインでやっていて、私は本当に単なる手伝いだった)やる事になったのです。ご家族の説得に手間取り、開始時刻も遅くなり、病理解剖が終わったのは既に夜の10時を回っていました。

 病理解剖は血がたくさん出ます。通常の手術は当然、ちゃんと止血をしながらやるわけですけれど、病理解剖の場合、既に亡くなってる方なので、止血する必要なんてありません。もちろん、血液の循環は止まっていますから、手術中にように小さな血管を切ってしまって、突然血がビュッと顔にかかるなんて事はないわけですけど、ビューッとでないだけで、ダラダラとは出るわけです。――なので、病理解剖を終えると、なんとなく全身から血の匂いがするような気持ちになります。
 その後の私の予定は、びっしり詰っていました。カンファレンスのスライド作成のために、写真をたくさん撮らなくてはならなかったのです。臓器の写真は病理解剖をしたその部屋で、プレパラートの写真はその向かいの部屋で撮る事になっています。
 とりあえず私は近所のコンビニでお弁当を仕入れて、一人寂しく暗い校舎のロビーで食べて、疲れきったまま写真撮影をする事にしました。

 食事を終了させると、まだかすかに血のにおいがする病理解剖の部屋に行き、保管してあった臓器を取り出して写真を撮ります。プーンとお線香の匂いがします。病理解剖室の隣は霊安室で、たぶん、さっき病理解剖を終えた方が、安置されたのでしょう。ご家族がいらしているようで、かすかにですが人がいるようなざわめきが聞こえていました。
 2時間かけて臓器の写真を撮った後、次は場所を移動して顕微鏡の写真を撮ります。時刻はもうじき夜中の2時になる頃でした。
 私は病理解剖室を出ました。ふと、横から視線を感じました。振り向きました。誰もいませんでした。

 私は気を取り直して顕微鏡の前に向かいました。はっきり言って、幽霊のなんのという話なんかより、カンファレンスに間に合わない事の方がずっと恐ろしい(だって、単位もらえなくなるし/涙)ことだったので、視線がナンボのもんじゃという気持ちになっていたのでございます。

 私は写真を撮りつづけました。気が付くと、ちょうど3時を回った頃でした。その時でした。

   「(コンコン)←ノック」
  私「はい、どうぞ」
   「(コンコン)←ノック」
  私「入ってくださって結構ですけど」
   「……(無言)」

 わすかでも時間が惜しい私は、半分怒りながらドアの所に行き、勢いよくドアを開けました。

  私「どうぞ」

 そこには誰もいませんでした。
 天井の低い廊下にも、誰もいませんでした。
 私が居た部屋は、袋小路になった一番先っぽにある部屋なので、廊下にいないなら、病理解剖室に入るか霊安室に入るかするしかありません。用事がないならノックするなよ、と思いながらドアを閉めようとして、ドアの下にスリッパが片方だけ落ちていて挟まっている事に気がつきました。なんとなく解せないような気持ちになりながら、丁寧にスリッパを外して、ドアに挟まれない位置に移しました。

 そのまま私は写真を撮りつづけ、終わったのは4時過ぎでした。眠い目を擦りながらドアを開くと、スリッパはまだそこにチョコンと落ちていました。

 とりあえず仮眠をとって、いつものように病院病理室に行くと、昨日一緒に病理解剖をした病理の教師が突然質問してきました。

  教師「ねぇ、スリッパ知らない?」
   私「スリッパ、ですか?」
  教師「うん、昨日、病理解剖した方のスリッパが片方だけ見つからないんだって、病理解剖の時はそんなの一緒に持ってこないはずなんだけど、一応、聞いておこうと思って」
   私「……青っぽい、縞模様の奴――ですか?」
  教師「そうそう、そんな感じ」

 あのスリッパでございました。

 私は慌ててスリッパをとりに行きました。スリッパはありました。病室にあったものは全て、ご家族が霊安室を経由せず、直接家に持って帰られたはずなのだそうです。実際、片方のスリッパは確かにその他の日用雑貨と一緒になっていたそうでした。なんで片方のスリッパだけそこにあったのかについては、一同、首を傾げたのでございました。

奇妙な謎 第2週

 暑い夏にはたまらない納涼編なんですが、ないんですよね、そういう話が(涙)
 もともと危険回避能力が備わっているのか、日常でも納涼的な話は少ししかない(声が聞こえたとか、扉が開いたとか、その程度;)ので、まぁ、そんなものでしょう。納涼編の第二弾は、手術室での出来事です。

 学年が上がってきますと、術衣に着替えての手術見学や、実際に手術の助手(――と言っても、第3助手程度)として手術に加わったりするわけです。術衣というのは、機能を重視したシンプルすぎる青い服にゴムが切れかけたような同色のズボン、それに学生であることを示すための薄い黄色い帽子をぴっちり被り、マスクをします。髪の毛はひっ詰められるだけひっ詰めて、帽子の中にすっぽり入れてしまいます。(そうしないと不潔だからね) そういう格好ですから、まぁ、ファッションのファの字もなく、慣れてくると手術室にいる間は自分の身の回りに気を使うのを忘れ、自分が女であることを忘れます;

 私には手術室を根城にお仕事をしている知り合いが数人おります。彼らは手術室に入るようになった私に、いろいろなことを教えてくださいます。
 機嫌が悪い時にはすごく怖い看護婦さんのこととか、上手な休憩の取り方(一応、休憩室と呼ばれる場所があって、椅子とジュースの自動販売機がある)とか、それはそのほとんどが有効な助言でしたが、その中に変な話が紛れ込んでいたのです。――曰く、2階から見学できるようになっている手術室Aでは、時々見知らぬ、明らかに生きている人間ではない人が手術を覗いている時がある、という話でした。
 ありがち〜、と私は思っておりました。自分でホラー話を作るなら、やってしまいそうなありがちな設定、覗けるようになっている場所には何かいるように思えるんだよね、と。

 たしか、小児の心臓の手術を見学していた(実際の手術野は人が多すぎて見えないので、術野をモニターに映し出したものを見ていた)時のことでございました。その手術室は、かつて話を聞いた手術室A! 手術自体が軌道に乗りはじめ、必要な説明をモニターでしてしまったドクターの一人が、人が多すぎるから2階で見学していてもいいよ、と言ってくださったのです。友人Bはニヤリと笑いました。コイツは絶対、その隙にちょっとばかり休憩してジュースでも飲んでやろうと思ってる顔です。
 私も二階に行こうかな、と思ったそのとき、あの話を思い出してしまったのです。私はチラリと2階を見上げました。奇妙に極端なほど暗く見える2階――なんとなく嫌な感じがして、「行かない?」と身振りで誘う友人Bに首を振って見せて、私はその場に残る事にしました。

 いったん思い出してしまうと、なかなか忘れることが出来ないのが人の不思議なところです。すっかり2階が気になってしまった私は、時々思い出したように2階に視線を走らせていました。
 その時です。

 確かに、何か動いたのでございます。動いたんですとも、何か背景に溶け込むようなものが!!

 寒気が私を襲いました。ゾゾゾゾと両腕がチキン肌になり、脇の下から嫌ーな汗が; そして考えました。いったいアレは何!?

 私は頑なに2階を見ないようにしようとしました。しばらくしてから、ようやく2階に到達した(たっぷり休憩したものと思われる)友人B達3人が2階に入ってきたのが見えました。彼らは2階から私に手を振りました。
 その時見てしまったのです。
 脳天気にニコニコ笑って手を振っている友人Bの背後に、ニタニタと性質の悪い笑い顔を浮かべている小さな顔! しかも、友人の身長から考えると、2メートルを越えた身長としか考えらない位置に!

 目だけで必死に笑って、私は2階から顔を背けました。顔が蒼ざめていたからでしょう、看護婦さんが首をかしげて大丈夫かと問いかけました。「貧血なら、休憩室で少し座っていたら?」(立ちっぱなしで見学するので、貧血になる学生はけっこう居るのだ)と言ってくださったので、貧血じゃなかったんだけれど、取り合えあえず休憩室に逃げる事にいたしました。

 休憩室でぐったりとして頭を抱えていると、手術室の中を歩く看護婦さんの足音なんかが聞こえてきてちょっと安心いたします。生きてる人って、いいです!

 見間違いよ、見間違い。たまたまそんな風に見えただけだって。人間の脳は、点々が横に二つ並んでいて、その下に横線があったら、即座に顔のような気持ちがするように出来てるんだから。

 私はそういいきかせました。そろそろ手術室に復帰しようかと考えていた、その時です。

 何か居る。背中側(入口などない、窓だけ)に何か居る!

 テクテクと背中側から人の足音がして、私の前にぴったりと止まりました。普通の人だったら絶対に体温を感じさせないと居られないほど、立ち位置が私と重なるくらいに近いところでした。

  「★※▽○※●◇?(笑)」

 ――意味の分からない、けれども確かに笑っている声が聞こえました。私は意を決して顔をあげました。誰も居ませんでした。

 休憩室にポツネンと独り。あぁぁ! 手術室の方が周りに人がいっぱいいるだけマシ!

 私は一目散に手術室に逃げ帰りました。

 あとで聞いた話だと、休憩室での足音が聞こえた辺りには、麻酔科の当直室があり、金縛りにあうドクターが続出した時期があったそうです。御祓いもしてもらったのだけれど、未だに敏感な方は金縛りにあうのだとか。

 ――あぁ怖い(涙)