実験の謎
医学部は一応理系の学部となっておりますので、もちろん実験がございます。
教養の時の化学の実験から発展して、今度はもう少し人体に近くなった実験、生理学の実験などが行われます。どういう風に人体に近くなったかというと、つまり、ネズミさんを使ったり、自分の体をつかったりするのでございます。
一番手近な実験材料、それはつまり友人であり自分です。
都合のよいことに学生集団というものは、比較的栄養状態も年齢も均一な集団でございますから、学生をグループ分けして異なった薬剤(やばいものじゃないです、別に;)を飲ませて、その後の反応を見るなんてことは簡単に出来ます。
幼い頃、毎年の検尿の容器を提出する時に、なんとなく恥かしいような気持ちになっていました。見えないようにティッシュで包んだりとかね、封筒に入れたりして、ギリギリまで中身が見えないようにしたもんです。――が、この実験で、私たちはある種の恥を感じなくなります。
何故か――それは、紙コップに大きくマジックで自分の名前を書いて、薬剤を飲んだ後に30分ごとに経時的に尿をとって、pHを計ったりなどするからです。
恥かしがっている時間なんてありません。例えばグループの中で一人だけpHが大きく外れていたりすると、「お前、変なんじゃねぇ?」なんて言われながら、思いっきり紙コップを覗き込まれます。
学生全体で同じ実験をするわけではないので、せいぜい20人分の尿が置いてあるだけですが、その辺りからは、実験の時間中(大抵は午前中いっぱいとか、午後いっぱいとか;)生理的な香りが漂いつづけます;
もちろん、この数年後には病院実習で延々午前中いっぱい検尿検査をしつづけたりするわけですが、まだ、この基礎医学の間は自分たちにそんな運命が待ち受けているなんて知りません。
そんな実験の中に、氷の中に指を突っ込んでいると、指先が冷えすぎないように、ある程度まで体温が下がると勝手に体温が上がる――という実験をします。たしか、同じような実験を「動物のお医者さん」(佐々木 倫子 著)の中でも描かれています。
実験時間は15分間です。氷水の中に、体温計をくっつけた(普通の体温計じゃなく、指にパッチを貼ってそこからデータを取るんです)指を入れます。反対側の指にもパッチを貼って、反対側の指の温度も計測します。
大体普通の人は15分間で波が二回くらい書けます。個人差もありますが、多くは8度くらいになると体温が回復していましたね。体温計のメモリは5度から計れるようになっていたので、たぶん、大体それくらいの温度が普通なんでしょう。
指が冷えると、痛いです。
皆さん、半泣きしながら実験をします。済んでしまった人は気楽ですから、「痛いやろ〜」「ざまぁみろ」「あと5分だっけ、あ、7分?」なんてイジワルな事を言ったりします。まぁ、言ってる人もやっているときに言われているので、どっちもどっちです。言われた方も、次の人に言うわけですし。
私の順番は終わりの方でした。散々痛い思いをした人たちが嬉々としながらパッチを貼り、氷が少なくなった容器に氷を入れます。ジンジンと赤くなった指先を包み込みながら、涙目になった友人が「次、どうぞ」と席を譲ってくれます。
ボチャンと豪快に指をつけて、計測開始。
人肌だった体温計のメモリが、グングン下がっていきます。10度以下になると、メモリが上がる時期に備えて、みなの視線がメモリに集中します。
8度です。まだ上がりません。みんな、最低温記録だ〜、などと騒いでいます。
7度です。まだ上がりません。パッチを付けた人が、周りにちゃんと付けたかどうかを確認されます。大丈夫、彼はちゃんと付けてました。ハイ。
6度です。まだ上がりません。そろそろ心優しい人が心配し始めてくれます。いい人です。大丈夫よ、感覚ないけど、痛くないし。
5度です。まだ上がりません。みなさん、ちょっと異様な雰囲気です。
更に下がりました。体温計のメモり外、計測不能です。
一人が教師を呼びに走りました。計測不能になってしまうと、実験結果の修正がたいへんです。
友人A「あのさ、痛くない? 大丈夫?」
なんて優しいんだ。大丈夫だよ、これっぽっちも痛くないから
教師がやってきて覗き込みます。痛くないかを聞かれます。
教師「痛くないんだったら大丈夫でしょう。もうすぐ上がってくるだろうし」
いいえ、残念でございました。
それから5分経っても、私の指は計測不能のままでした。
最初は心配してくれた友人たちも、だんだん飽きてきて、早く体温上げろよなどと無体な事を言います。そんなことができるんだったら、とっくの昔にやってます。既に指の感覚はなく、手首の辺りまで、ジンジンします。(でも、痛くないのよ、これが;)
友人A「痛くないの?」
一貫して、痛くないかと聞きつづける友人A。心優しい人だと思っていたけど、実は『痛いよぉ』という言葉を期待している、ちょっとイジワルな性格だったのでは(^^;
友人B「もう、12分だよ。あと3分で体温上がらなかったら、どうするんだよ、実験にならないぜ?」
友人C「実は人間じゃなかったんじゃないの? 昔、宇宙人に連れ去られたりした事ない?」
余計なお世話だ!
実験時間残り1分を切ったその時、実験を続けている本人でさえも、いい加減目盛りを見るのに飽きた頃。
友人B「あぁ! メモリが出た!」
測定メモり数、5度。残り30秒でようやく5.2度まで回復して実験終了。
良かったね。ちゃんと生理現象あったよ、自分。人間だったんだね。人間でよかったね;